大会は後半戦へと突入した。
第4戦は、今大会が初参戦になる、七枷社・シェルミー・クリスのチームが京たちの相手だった。この日、中堅として出場し、シェルミーを相手に闘った庵は、その対戦中、奇妙な違和感を覚えていた。相手の氣が弱いのだ。初参加で第4戦まで勝ち上がってきただけの実力の持ち主であるにしては、なんと頼りなく散漫な氣であることか。しかし、そんなシェルミーにさえ勝てなかった彼は、チームの勝敗を大将の京に託してステージを下りた。そして、相手チームのメンバーに不審の目を向ける。もしかすると、彼らが<そう>なのかも知れない。庵はそう感じた。
試合後、庵が意図的に、京やちづるよりもかなり遅れて会場を出てみると、案の定、そこには彼を待っていたらしい男の姿があった。
「よう」
片手を上げ、馴れ馴れしい態度で近づいて来たのは、敗者側の将(しょう)だった社だ。シェルミーとクリスのふたりは先にホテルへ帰ったのか、その場にはいなかった。
「俺に何用(なによう)だ? 大蛇四天王ともあろう者が」
庵の芝居掛かった台詞に、
「おやまあ、バレてたの」
社がわざとらしく驚いてみせる。
庵が彼らの正体に気付けたのは、今日対戦したからだ。さすがに四天王ともなると、かつてのマチュアやバイスのように、簡単にその正体をひとに悟らせるような軽率な真似はしないらしい。
男たちはどちらからともなく会場近くの公園へと場を移した。
「いつまで炎を温存しておくつもりなんだ? べつに炎使って闘ったって大丈夫なんだぜ?」
血の暴走は起きないぞ、と社が言う。
「はっ、誰が使うか。貴様らの厄介になっているのかと思うと、それだけで反吐が出る」
噴水の縁に腰掛けた庵は、男の顔を見ようともしないで唾棄した。
「へえ、気付いてたのか。俺たちが抑制してやってたってこと。さすがだな」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
だれが直接己の血の暴走を抑制しているのか、庵は確証をもっていた訳ではない。カマをかけたのだ。そして今その答えが出た。
「パンチとキックだけで優勝狙うつもりなのかよ? 呆れたヤツだな。だいたいな、その身体で⋯⋯無茶だ。チームのお荷物になるのがオチだぜ」
だらしなく着崩したズボンのポケットに両手をつっこんで、心持ち腰を突き出すような姿勢を保っているのはこの男の癖なのか、体格がいいだけに、やたらと尊大に見える。
「やってみなければ解らんだろう。もう放っておいて貰おうか、俺のことは」
「放っておけって言われてもなあ⋯⋯。そもそもだ、おまえがあんまりフザケたマネするからいけねーんじゃねえの。だから、」
放っておけなくなっちまったんだぜ、と社は腰を折って庵の顔を覗き込む。
「ふざけた真似、だと?」
反射的に庵は男の眼を睨みつけていた。
「そうだ。⋯⋯なんで死のうとした? 未遂に終わってくれたから良かったようなものの⋯⋯。それから後も雲隠れした挙句に、絶食まがいの生活続けてくれちゃってさ」
こんなに痩せちまって、と遠慮もなく頬に向かって伸びてきた男の手を、庵は瞬時にはたき落とす。
「痛ってぇなあ」
わざとらしく顔を顰めながら、社は赤く腫れた手の甲をこれみよがしにさすってみせた。彼は斜(はす)に構えた鷹揚な態度はそのままで、視線をゆっくりと空へ向ける。
陽が暮れきるにはまだ少し間(ま)があるようで、明るさの残る西の空には雲を紅く染める夕陽。
「八神、陽が落ちてくぜ⋯⋯。じき月が昇りはじめる」
嘲笑の表情(いろ)を含んだ声が庵の神経を逆撫でる。
「これから月は満ち始める。役者も揃った。待ってさえいれば最高の舞台が出来上がる」
だからこそ今おまえに潰れられちゃ困るんだ、と社は続けた。
「有効な手駒は多い方がいいからな。だから俺たちが三人がかりで苦労して抑えてやってんだよ、おまえが暴走するのを」
――手駒、だと?
膝の上に遊ばせていた庵の拳が怒りに震える。
――事後(あと)で吠え面をかくなよ。
「ふざけているのは貴様らの方だ。この俺がそう簡単に貴様らの思いどおりになるなどと思うな」
――泣きを見るのは貴様らだ。
「そうこなくっちゃよ」
庵の台詞を受けて社が笑う。
「柔順なペットなんか飼ったって、面白くもなんともねえもんなあ。⋯⋯八神、おまえみたいにおイタの過ぎるペットには、てめえの主人が誰なのか、後でじっくり教えてやんなきゃ、だな?」
楽しみだ、と心底愉快そうに声を発てて笑い、
「じゃ、せいぜいパンチとキックで頑張りな」
と、庵の神経を逆撫でるだけ逆撫でて、男はくるりと背を向ける。庵は、射殺すような視線でその背を睨んだ。
――⋯⋯。
大人しく利用などされてやるものか。目に物を見せてくれよう。覚悟しておくがいい。
完全に陽が落ちて、周囲が闇に包まれて尚、庵は食い込んだ爪が手のひらを傷つけるほど強く拳を握り締めたまま、その場から動かなかった。
予定どおりに日程を消化し、KOF97は決勝戦までを無事に終了した。残る行事はただひとつ、現在世界各地に散っている全参加選手を招集して催される、アメリカステージでの優勝セレモニーだ。
その優勝セレモニーに出席するためアメリカへ最後の移動をした夜、ホテルの部屋で、京と庵はちづるの訪れを待っていた。京は手持ち無沙汰で、手入れの行き届いた中庭の見える窓へと近づいていく。中庭から徐々に視線を上げて行くと、視界を遮るもののない空に、無数に瞬く星が見えた。庵もまた、ベッドに腰を下ろして夜空を見上げている。窓ガラスに映る彼の目線を辿れば、それが中空に浮かぶ月に向けられていることが判り、京は背後の庵を振り返って声をかけた。
「満月か?」
月に向けた視線はそのままで、
「いや⋯⋯。月が満ちるのは明日(あす)だ」
京の何気ない問に、庵は訊かれていないことまでを答えていた。
「へええ、よく判るな。俺なんか、どこが欠けてんだかさっぱり」
京は感嘆の声を上げ、隈(くま)を捜そうとでもいうように、改めて夜空を仰ぎ見る。周囲にある筈の恒星の光を掻き消すような強さで、丸い月が輝いていた。
『これから月は満ち始める。役者も揃った。待ってさえいれば最高の舞台が出来上がる』
庵はその耳に男の声を反芻する。もうすぐ終末の時は訪れ、すべてのことが終焉を迎える。死出の旅路の道連れは、ただひとつ、大蛇だけでいい。
満月と見間違(みまご)う月を見上げて、庵はすでに心を決めていた。
大蛇の血をこの身に住まわせよう、そう決めたのは八尺瓊自身。ならば、それを棄てると決め実行に移すのもまた、八尺瓊自身でなくてはならない。そして、大蛇の血と運命を共にすることで、その身勝手さを許して貰うより他はない。『草薙』にも『八咫』にも、そして何より大蛇に⋯⋯。
――だから。俺を共に連れて逝け。
そのとき、部屋のドアがノックされた。
「開いてるぜ」
ノックの主をちづるだと断定し、京がドアに向かって返事をする。ふたりの前に現れたちづるは、大会本部が準備した優勝セレモニーの手順の書かれた小冊子を手にしていた。
「明日のセレモニーの打ち合わせをします」
そう宣して、ちづるは冊子をふたりに手渡す。どこまでも生真面目な女である。
「優勝セレモニーねえ」
「くだらんな」
「嫌ならおまえだけフケれば?」
儀式とか儀礼とか、そういったしゃちほこ張ったことは嫌いだが、基本的にお祭り騒ぎは大好きな京だ。
「何を言っているの草薙。八神もわがまま言わないで」
京の間(あい)の手に間髪入れず応酬し、ちづるは咎める視線で庵を睨む。
「八神、セレモニーには首に縄をつけてでも出席させますからね」
優勝チームの人間が欠ける訳にはいかないでしょう、と続けてから、ちづるは駄目押しとでもいうように、最後にこう付け足した。
「このセレモニーで今大会のすべてが終わるのよ。後一日くらい我慢してちょうだい」
ちづるが部屋を去ってから、京は、
「結局なんにも起こらなかったな」
庵に向かってそう言った。この大会に大蛇一族が関与していると彼は言ったが、何事もなくここまで来た。
だが。
「大蛇が復活するぞ」
庵は言った。
「なんだと!?」
目を剥く京に、庵は静かな口調で続ける。
「おそらく明日のセレモニー中、奴らは正体を現す」
「奴らって⋯⋯」
「大蛇一族の四天王と呼ばれる連中のうち、生き残りの三人がこの大会に関わっている。奴らの狙いは、大蛇の完全なる復活だ」
「おまえ、そのこと知ってて⋯⋯」
また黙っていたのか、と喰ってかかろうとする京の、その出端を挫くように、庵は、
「最初から解っていたのではない、後で知った」
と、ゆっくり静かにそう答えた。
先だっての社との会話から、庵はそのことを確信したのだ。だがそのとき、彼らの計画を遂行させてやろうと考えた。中途半端に彼らを叩いたところで、また同じ歴史を繰り返すことになる。叩くべきは大蛇そのものなのだ。ならば、完全に大蛇を復活させた上で、それを斃すべき。だからこそ、今まで誰にも言わずにいただけである。この件に関しては、京に対しても隠し通そうとは思っていなかった。
「それでどうするつもりなんだ」
そう訊いて来た京に、
「大蛇を道連れに、死んでやる」
庵は淡々と己の決意を告げていた。これが彼にとっては最後のチャンスなのだ。京の手を借りずに命を棄てる、ラストチャンス。
「そんなこと、させねえっ!!」
いきなり叫んだ京に、庵は驚いて顔を上げる。
「き、京?」
「冗談じゃねえよ、誰が大蛇になんかくれてやるもんか」
「⋯⋯なにを⋯⋯言⋯⋯」
「おまえはな、俺と勝負するんだよ! だから死んじゃダメなんだ!!」
ぶつからんばかりの勢いで、京が庵にむしゃぶりついて来た。庵は咄嗟に彼の身体を抱きとめる。何が何だか解らなかった。
――京のこの行動はいったい何だ?
しかし、そんな庵の戸惑いを置き去りに、尚も京は強く抱き着いて来る。そして、庵の首にぎゅっと腕を回し、
「勝負しろよ、俺と」
彼の肩口に顔を埋め、切迫した声で訴えた。
「大蛇とか草薙とか八神とか、何もかも関係ないところで。真剣勝負。マジにさ」
自分以外の何者かが庵の命を奪う。そんなことは京には許せなかった。我慢ならなかった。この男の息の根を止めていいのは⋯⋯。
「だから大蛇は俺が斃す」
大蛇にも誰にも、もう邪魔などさせない。
「⋯⋯っ」
京の言葉に庵の喉が詰まる。
でも、もう、無理なんだ、京――。
――無理なんだよ、京。
たとえ京が大蛇を斃しても、自分の身体が元に戻る訳ではないのだ。大蛇の血が彼の身に残るなら、やはり自分は、いつかその暴走を抑えられなくなるだろう。そしてまた、死を免れて大蛇の血が浄化されたとすれば、それは自分の戦闘能力の喪失を意味する。
「約束しろよ、俺と勝負するって」
庵には答えることが出来なかった。約束はできない。それは、決して果たされることのない約束だから。そのことを、自分は知っているから。
庵は目を伏せた。本当のことを何ひとつ自分は口にできないのだ。
――京⋯⋯。
名付けられない感情の渦が激しく逆巻き、覚悟を決めた筈の男の心を掻き乱す。声を出せば泣いてしまいそうで、庵は唇を噛み締め、ただ京の背を抱く腕に力を込めた。
そして。
KOF97・優勝セレモニー当日の朝がやって来る。
前編・完
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