『地上の星、深海の陽』序 ⋯⋯ 未完SS。続きを書く予定はありません。


 関東地方に初雪が降った師走の夕暮れ、海上自衛隊横須賀基地の総監部に一本の電話が入った。




「艦長、田所海将補がお呼びです。至急総監部へ来るように、とのことで」
 副官である山中に促され、海江田はやまなみ艦長室のデスクから立ち上がった。
「総監部へ?」
 総監部は家族相談室とも言われ、文字どおり自衛官達の家族との窓口的役割も果たす部署である。通常司令部にいる筈の田所がそこで待っていると知り、己の家庭に何事かあったのか、と海江田は沸き起こる胸騒ぎにおのずと表情が引き締まった。海江田は数年前に結婚し、息子をひとり儲けている。住まいである鎌倉の家には海江田の母親も同居していた。
 バースに繋留中のやまなみを降りると、海江田は足早に総監部へ向かった。
「海江田二等海佐、入ります」
 制帽を脇に携え、ノックの後入室した。その海江田を潜水艦隊司令長官である田所が出迎えた。
「今警察から連絡があってな」
 田所の沈痛な面持ちが、更に海江田の表情を固くさせた。
「深町二佐の細君が交通事故に遭ったらしい」
 その一瞬、心のどこかで安堵を覚えた自分を、それが人情だと理解しつつ海江田は嫌悪せずにいられなかった。
 深町が艦長を勤める潜水艦『たつなみ』は現在パトロール中で、帰港までには後2日の日程を残している。海にいる深町には、もう事故の一報が届いているのだろうか。
「深町二佐にはもうそのことを⋯⋯?」
 出過ぎたことだと思いながらも問わずにいられなかった海江田に、いや、と田所は首を振った。
「まずは陸(おか)の親族に連絡をと思ってな。いまC・P・Oに問い合わせたんじゃが⋯⋯」
 そこまで聞き、そうか、と海江田は得心した。深町は既に二親を亡くしており、また兄弟もない。そして深町の妻もまた、結婚当時既に身寄りがなかった。だから連絡しようにもその宛がないのである。恐らく田所は、そのことを確認するために海江田を呼び出したのだろう。海江田と深町とは同期で、防大時代からかれこれ10余年の付き合いになる。
「どちらにも、身寄りはないと聞いております」
 似た境遇の者同士が出会い惹かれ合って結婚した。そのことを海江田は知っていた。そのふたりの挙式から、まだ半年も経っていない。
「そうじゃったか」
 頷く田所を見、大した怪我でなければ良いが、と細君の身を案じながら、
「それで、怪我の程度は⋯⋯」
 そう尋ねた海江田に、田所は目を伏せ首を振ってみせた。口に出さずとも、その動作が答えだった。
「まさか⋯⋯亡くなった⋯⋯のですか」
 唖然とした表情で、躓くように口にした海江田の言葉に、田所は無言で頷いた。即死だそうだ、と後から付け加えて。
 ――深町⋯⋯。
 表情が凍り付く。全身から血の気が引くのが自分でも分かった。
「今から警察へ向かう。君にも同行して貰いたいのだが、構わんかね」
「はい」
 承諾する自分の声を、海江田はどこか別次元の物音のように、遠く聞いていた。