如鳥飛空中
・如鳥飛空中



 ふと、馴染んだ気配を庭先に捉えて、小十郎は文机から顔を上げた。写本に使っていた筆を置き、障子を開けて縁に出る。
 気配の元をたどると、自邸の庭に植えられた樫の枝に見知った鷹の姿があった。


 佐助が遣っている忍鳥のうちの一羽だ。


 ほかにも数羽、手懐け飼い慣らしているという話だが、佐助が連れて来るときも忍鳥のみを遣いに出す際も、奥州へは必ずこの一羽と決まっているようだった。
 おそらく号があるのだろうが、佐助はもっぱら指笛で使役していて名を呼ぶのを聴いたことがない。だから小十郎はそれを知らなかった。
 この忍鳥の気配は、佐助のそれとよく似ている。


 小十郎はしばらく枝上の鷹を眺めていたが、やがて部屋へとって返すと、右腕にだけ篭手を着けてふたたび濡れ縁に戻った。そうしてその右腕を掲げるように差し出せば、鳥はにわかに大きな羽を力強く広げ、一直線に小十郎の元へと滑降してくる。


 慣れている。
 初めてまみえたときからそうだった。
 そのときは佐助が一緒で、この鷹は彼の肩の上にいた。小十郎が近づいても飛び立たず、
『止まらせてみるかい?』
 佐助にそう言われ、促されるままに腕を持ち上げたところ、躊躇なく飛び移って来た。体躯に見合った重量の持ち主で衝撃もそれなりだったが、一瞬上下にゆらいだ腕を嫌うこともなく、絶妙な均衡を保ってそこにとどまった。
 忍鳥が主以外に懐くことは稀だ。佐助が特別に仕込んだのだろう、おそらくは小十郎(じぶん)のために。


 右腕に止まらせた鷹の脚を覗き込み、小十郎は間近で検(あらた)めてみたが、短冊状の紙を巻き丸めて収めるための小さな筒は、そこには付いていなかった。どうやら文を届けに来た訳ではないようだ。
「おまえの主はどうした。一緒じゃないのか」
 しばらく待ってみたが、佐助が現れる様子はない。ならば単独でよそへ遣いに出された帰りということか。


 小十郎は腕の上の鷹に顔を近づけた。
「おまえは自由でいいな」
 空に境はなく、関所もない。どこへでも、好きなとき、好きなように飛んで行ける。無論、鳥同士の縄張りはあるのだろうが、それが行く手の妨げになることはない。
「それに――」
 ――いつでもあいつの傍に居られる。
「羨ましいな⋯⋯」
 ちいさく呟くと、小十郎は目を閉じて鷹の狭い額にそっと己のそれを擦り寄せた。


 クルルと喉を鳴らすかすかな音が、小十郎を慰めているようだった。






了 2010.09.14

・蛇足

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