『いつかきっと』


「洋介、今朝の新聞読んだか」
 そう言って、俺はあるスポーツ紙の名前を上げた。
「なんだよ、海部。やぶから棒に⋯⋯」
 朝の挨拶もナシか?と小言を言いながら、ストレッチを兼ねた準備運動の後、小倉球場の外野で同い年の野手相手に遠投をしていた洋介は、白球を放る手をとめた。相手の野手に片手を上げて休憩を告げ、それからやっと俺に向き直る。


 今日のホーム試合はデーゲームで、対戦相手である洋介達イーグルスの選手は昨日の夕方から小倉入りしていた。


「オリンピック派遣のヤツのことかよ」
「ああ、それだ」
「それなら読んだ。ウチのオーナーの嫌がらせだっていうアレだろ?」


 先日行われたオーナー会議で、イーグルスの米倉オーナーが『一軍経験のある新人』をオリンピックに出場させる選手の条件として提案し、その案が通っていた。
 メッツからは俺が、そしてイーグルスからは洋介が派遣される。黄金バッテリーの復活だ、と好意的な見出しの踊る新聞もあったが、大半の新聞はイーグルスの横暴だと批判的な記事を書き立てていた。いわく、俺と洋介とでは、自軍チームに対する貢献度が全く違う、と。
 俺はふだん新聞のスポーツ面は読まない。今朝はたまたま浜田さんに見せられて、その記事を読んだのだ。


「悔しくないのか」
 つまりイーグルスは洋介が抜けても、ペナントレースに不都合が生じない。イーグルスの勝敗には影響しない。そう判断されたも同然の内容だったのに。


「本当のことだしな」
 洋介はあっさり答えた。淡々と口にする言葉には嘘がなく、感情を押し殺しているようにも見えない。
「別に俺は今イーグルスでクリーンナップ打ってる訳じゃないし、スタメンマスクが被れるのだってまだ2試合に1回だろ。ウチの選手層の厚さのこともあるけど、今のメッツからお前が抜けるのに比べりゃあ、俺が抜ける穴はやっぱり小さいよ」
 別に戦力として認められてないって訳じゃないから、気にしてねえんだ。
「⋯⋯⋯⋯」
 洋介の、感情に流されない、公正且つ的確な判断力、そして分析力とは、洋介自身に対してでも正常に働いていた。俺が中学でこいつとバッテリーを組むようになった頃には、それは既に洋介の身に着いていて、もしかしたらこれはこいつが生まれ持った素質なのかも知れないとも思う。


「そんなこと訊くためにわざわざ外野まで来たのかよ?」
 お前もたいがい暇だな。
 洋介は、いつもは使わない野手用のグローブの中に右の拳を打ち付けながら、それより、と話題を変え、
「今日はお前先発じゃないよな?まだ中3日の筈だし」
 そんなことを言う。
「でもベンチ入りはするんだ?」
 こいつは将来(オリンピック)の自分のことよりも、目の前の今日の試合の俺のことを気にしているらしい。
 でも俺はまだ新聞記事のことがひっかかっていて、だから洋介の問いにはおざなりに答え、また話題を元に戻す。

「あの記事書いたヤツ、お前のこと解ってないよ。あれは過小評価だろ」
 ライターである記者は洋介をちゃんと見ていない。俺は記事を読んでそう思ったのだ。
 なのに。
「そうかあ?俺は別になんとも思わなかったけど」
 こんなふうに鷹揚な洋介を、俺はときどき堪らなくもどかしく思うことがある。こいつの懐の深さと素直さは美徳かも知れないが、時に俺をどうしようもなくイライラさせるのだ。

 でももしアレが、お前とバッテリーを組ませたいってだけの理由での人選だって言われた記事だったんなら悔しかったと思うけど。
 自分の中に沸き起こる苛立ちに気を取られかけていた俺は、その洋介の言葉にはっとして顔を上げた。
「抱き合わせはドラフトだけで充分だ」
 俺の視線の先で洋介は、恐いような強い眼を空(くう)に向け、じっと何かを睨み付けていた。バッターボックスに立ち、対峙するピッチャーを見据える時のような真剣なその眼差しは、でもすぐにさっきまでの穏やかなそれに戻って、俺の顔へと移される。
 またじわりと沸き起こる焦燥。
「俺とバッテリー、組みたくないのか?」
 思わず口にしていた意地の悪い問に、
「組みたくないとは言ってないだろ?」
 洋介が苦笑する。
「けど、キャッチャーがどんなにすごくたって、ピッチャーの協力がなきゃ、その実力は試合には活きないだろ。だから本当は誰が受けたってそんなに変わりはないんだ」
 だいたい決定権はピッチャーにあるんだからさ。
 そう口にした言葉は洋介の本心であるらしかった。それが意外で、俺が思わず目を丸くしたら、
「だってそうだろ。要求された球が気に入らないんだったら、ピッチャーはキャッチャーのサイン無視して好きな球投げりゃいいだけなんだし」
 お前も散々そうやって好きにして来ただろうが。
 何を今更驚いてるんだ、と洋介は呆れ顔で俺を見遣った。

 俺はてっきり、洋介は、自分こそが俺の球を受けるのに相応しい捕手だと思ってるのだろうと想像してたんだ。だけど、そうじゃなかった。


「俺でなきゃ捕れない球、なんてのはないんだよ」
 現に今お前の球受けてるのは浦田さんなんだし、アマの穴巻捕手だってお前とバッテリー組めると思うぜ、俺は。
 洋介の言う事はたぶん間違っていない。
 でも。
 俺は唇を噛んだ。
「案外みんな解ってないよな~」
 洋介は屈託なく笑って言い、もう自分んトコの練習に戻れよ、と俺を促して背を向け、再び遠投を開始した。


 今の洋介の、俺の知る彼との変わらない部分を見つけてどことなく安心する反面、もう洋介が、俺とバッテリーを組むことに、そして強打者を思うように翻弄し打ち取りたいと願った、かつての夢をどこかに置き去りにして来たように思えることに、微かな不安を感じる。
 洋介はもう俺に執着しないのか、と。


 俺は外野に背を向けて歩き出し、一度だけ洋介の広い背中を振り返った。
「お前はプロで一番のキャッチャーになるんだろ?」
 洋介には聞こえないよう、小さな声で問いかける。
 プロになった以上、お前がまず目指すのはそこだろう?
 俺もプロで一番のピッチャーになる。そうなれたら、またバッテリーを組もう。プロ最高のバッテリーになろう。
 そうして、その次の夢は――。

 そのとき俺の心は洋介の背を飛び越し日本をも離れて、遥か遠くアメリカ大陸へと飛んでいた。

 ベースボール発祥の地、フロンティアアメリカへ。きっとふたりで――。



2001.10.08 終 



 一樹がメジャーに行きたがっている、ということを人伝に聞き、思い立って書いたはいいんですが、コミックス派ゆえに本誌上での展開を(現時点では)知りません。
 このエピソードが収録される2巻が発売になった後で青ざめる可能性があるのですが、まあ、それはそれこれはこれってコトで、ひとつ、アバウトな目で見てやって頂けると助かります。
 例え「しまった!」な展開になっていてもこのままUPしておくつもりですし。(厚顔無恥?)
 いや、だって、今の時点(第18、19球)で、既に「ホントにメジャーに行く気あんの?」なんですもん⋯。(2001.11.12 記)