『君の昔を』11111Hitsリク


 部活が終った後、帰宅途中のスーパーで食材を買い込んでから仙道と共に部屋に戻った牧は、食事をするのに使っている炬燵台の上に、今朝家を出るときにはなかった筈のものを見つけて首を傾げた。
 それは旅行雑誌で、表題におおきく『愛知』の文字がポップな書体で躍っている。
「なんだこれ」
 食材を冷蔵庫にしまっていた仙道が、その声に反応し、入口から顔を覗かせた。
「ああ、旅行ガイドです」
 そんなのは見ればわかる。どうしてこんなものがここに置いてあるのか、牧はそれを問うているのだ。
「旅行でもするのか」
 牧が投げかけたのはしごく真っ当な疑問だった筈なのだが、訊かれた仙道の方はなぜか不服そうな顔をしている。
「次の連休、一緒にどっか行こうって、前に約束したじゃないですかー!」
 確かにそんな会話をかわした記憶は牧にもあった。だが、どこか、というのが、よもや県外だとは想像もしていなかったのである。繁華街へ出て買い物をするとか映画を観るとか飯を食うとか、せいぜいその程度の外出だと考えていた。
「いやですか、旅行」
 冷蔵庫の前を離れ、牧の居る一間へやって来た仙道が、断られるなどとは微塵も思っていないのだろう口調で訊く。
「旅行は嫌いじゃないけどな」
 バスケ部が遠征三昧であるおかげで、牧は高校時代から旅馴れしている。順応性も高い方で、だから初めての土地へ向かうことにも、そこで宿泊することにも、まったく抵抗はない。
「けど?」
 牧の言葉尻をさらって鸚鵡返しにする仙道へ、
「や、だからって、さ」
 なぜ行き先が愛知なのだろう。
 ――よりによって、俺の生まれ故郷の。
 牧の疑問はその一点に尽きる。
「なんで愛知なんだ。この時季に何か有名なイベントとかってあったか?」
 全国的に知名度のある祭のシーズンでもない筈だが、と首を傾げる牧に、
「牧さんの出身地だからですよ」
と、仙道からは、そのままの答えが返る。
 牧は渋い顔になり、
「観光地の案内なんか出来んぞ?」
 釘を刺した。
 そう、期待されても困るのだ。
 牧が郷里を離れたのは中学を卒業したときだった。(海南大附属高校へのスポーツ推薦入学が決まり、その当然の帰結として、卒業後は親元を離れてひとり入寮することになっていたからだ。)ろくな移動手段を持たない中学生の行動範囲など、たかが知れている。また、地元の人間ほど近辺の観光地に疎かったりするものだ。牧もその典型で、学校行事で訪れたことのある場所以外へ、自ら進んで出かけたという記憶がない。共働きの両親は休日もとかく忙しくしていて、家族で観光地を訪れた思い出とて数える程しかなかった。
 ところが。
「別にそんなこと期待してませんよー」
 仙道のあっけらかんとした物言いに、牧は更に首をひねってしまうことになる。
「じゃあなんで⋯⋯」
 観光案内を期待されていないのならば尚更、なぜ行き先を愛知にしようと思ったのかがわからない。
「さあ? なんでですかね」
 言われてみれば変だな、と逆に仙道の方が不思議がりはじめてしまった。
「牧さんの生まれ育った場所だから、っていうのは確かだけど⋯⋯」
 ほんと、なんでかな? 独り言のように呟いて、仙道は真剣に考え込んだ。
 観光地を巡りたいのかと改めて牧が問えば、それは違うと即答が返る。
 もちろん行ったからには、そういう場所を訪れることになるのだろうけれど、それが一番の目的ではないようだ。しかしそれならば、何がしたくて愛知へ行くのかが、やはり全くわからなくなる。
 うーんと一声唸り、ますます思考の深みにはまってしまったらしい仙道を放置して、夕食の仕度をするために、牧はひとりキッチンへ立った。
 顔を突き合わせて追求してみても始まらない。そのうち仙道が自力で答えを見つけ出して教えてくれるだろう。





「さっきの話ですけどね」
「うん?」
 夕食を終えた炬燵台で、仙道が淹れたコーヒーをふたりで飲みながら、スポーツニュースにチャンネルを合わせ、見るともなくテレビを眺めていた牧に向かい、仙道が口火を切った。
「愛知に行きたい理由」
「ああ、あれな」
 なんだったんだ、と牧が話の先を促せば、
「俺、べつに愛知に行きたいわけじゃないみたいです」
 ひとごとのように仙道はそう結論を述べた。
「なんだそりゃ」
 呆れて表情の崩れた牧を見、
「いや、行きたいのが愛知ってことには違いないんですよ!?」
 仙道はわたわたと両手を振った。そして、焦ったように言葉を続ける。
「ただ、それは、愛知が牧さんの生まれ育った土地だからであって、牧さんの出身が愛知じゃないなら行きたい場所も愛知じゃなくて⋯⋯」
 どう言えばいいのかな、と、ようやくここで少し間を置き、
「えーと、だからね、俺、たぶん牧さんの小さいの頃のことが知りたかったんですよ」
「小さい頃?」
「そう」
 自分と出会う前の、共有し得ていない時間のことを。
 その情動が、仙道をして無意識の内に『行き先』=『牧の生まれ故郷』=『愛知』という図式を成立させていたらしい。
「だから、行くなら愛知だな、って。そういう発想だったみたいです」
 どんな環境に身を置いて、どんな風景を見て育ったのか、だとか、どんな子供だったのか、だとか。
「観光地じゃなくて、俺は牧さんの実家とか通った学校とか、そういうところ、見てみたい。出来るなら、牧さんの子供の頃を知ってるご近所さんとかに、どんな子供だったか聞いてみたいんですよ」
「⋯⋯」
 思いもしなかった旅の目的を聞かされて、牧は目を丸くしている。
「好きになった人のことなら、なんだって知りたいと思うもんでしょ?」
 一緒に過ごせなかった時間の推移だって、知ることが出来るものなら知っておきたい。
 ――牧さん、俺はあんたの過去を旅したいんだ。
「だから、俺が行きたいのは愛知ってわけじゃなくて、牧さんの歴史⋯⋯足跡(そくせき)? そういうものが残ってるところ、です」







 結論から言えば、そんな遣り取りを交わしたひと月後の連休に、ふたりは旅行へは出掛けなかった。
 その代わり。
 生まれてから中学を卒業するまでの写真を収めたアルバムを送ってくれるよう、実家に連絡を取る牧の姿が見られたという。



2009.09.19 終/2023.02.05 微修正



・リク内容:仙牧で旅行 by 早瀬さま
 ほかの選手の名前はうろ覚えだったりする牧が、諸星の名前は記憶しており、また妙に親しい様子だったことを根拠に、諸星とは昔馴染み = 牧の出身地は愛知、と勝手に捏造設定しています。
 アルバム、送って貰ったはいいけど、いざとなるとやっぱり恥ずかしくて、仙道が見ようとするのを取り上げ、抱え込んで無駄に抵抗する牧の姿が目に浮かぶ⋯。(2009.09.20 記)