『2006 謹賀新年』


 年の瀬らしく年越し蕎麦は、食べた。
 署内に残っていた、自宅へ戻れない可哀想な面子のために、人数分の出前を取って。





 新年の挨拶はメールで届いた。
 牧が持つ携帯の呼び出し音は、あの男からのものと、職場からのものだけが、それぞれ違うメロディに設定してある。もともと職場からのそれには特別な音を割り当てていたのだが、もうひとつの方は不可抗力だ。いつの間にか、牧が知らないうちに、あの男――仙道――が勝手に設定を変えてしまっていたのだ。
『これが鳴ったら俺からですよ。絶対無視しないでくださいね。』
 わざわざふたりで一緒にいるときに電話を掛けて寄越し、携帯の電波を通してそう告げた。あの男はいちいちやることが気障だと思う。そんな所作がまた、板についているのが厭らしい。


 勤務中である故にお屠蘇こそ飲めなかったが、仮眠室から刑事部屋に戻って、顔を合わせたそれぞれに、おめでとう、今年も宜しく、の言葉を交わし合い、応接用のソファと机のセットの側に飾られた鏡餅の姿を目にすれば、今日は元旦なんだとようやく実感が沸いた。署の入り口には注連飾りも掛かっている筈だ。
「牧」
 赤木に呼ばれ、自席へと足を速める。赤木は洗面にでも行っていたのか、首にタオルを掛けた、ずいぶんとラフな格好で席に座っていた。
「今年もよろしく」
 改まっての挨拶は、同期であるこの男を相手にするとなんだか照れくさい。そんな気持ちを悟られないよう、そそくさと、赤木とは背中合わせの自分の席へ腰を下ろす。と、すぐにまた背後から声が掛かった。
「もう年始の挨拶は済んだのか?」
 誰に対する挨拶のことなのかは、口に出されなくてもわかっている。
「メールしといた」
「なんだよ、そっけないなあ。電話で声くらい⋯⋯」
「あいつも仕事なんだ」
 大晦日から元旦にかけて、仙道の店はオールナイト営業だと聞いていた。店の看板である彼が休みをとれる訳はなく、また悠長に席を外している暇もないだろう。だから、日付が変わるのとほぼ時を同じくして送信されたメールは、事前に打って準備してあったのだろうと推測された。その割には、メールの文面は、
『牧さん、あけましておめでとう。今年もよろしくお願いしますね。』
と、ごく簡素なものだったのだが。
 仮眠室へも持ち込んでいた携帯でそのメッセージを受け取り、牧は少しだけ考えて、次のような返事をかえした。
『明けましておめでとう。こっちこそ今年もよろしく。次の休みが重なったら一緒に初詣でもどうだ?』
 面と向かってはまだ言いにくい。そんな誘いの言葉でも、こんなふうに手段を変えれば少しはうまく伝えることが出来るようになった。


「客商売は大変だな」
 赤木は感心とも呆れともつかない口調でそう言って、
「ま、ともあれ今年も目一杯仲良くしててくれよ」
と、更に揶揄いの言葉を付け足し牧を赤面させておいて、くるりと回転椅子を回し自分の机に向き直った。
 うまく行っているのならそれでいい。去年はやっと、彼らの帰る家が同じになって、赤木をずいぶんと安心させたのだ。
 赤木の机の上には年を越してしまった案件の書類がいくつも積み上がっている。事故も事件も、元日だからと日を選んで休んでくれはしない。きっと今年もいろんなことが起きるのだろう。それでもその数がちょっとでも少なくあればいい。せめて自分の身近にある人達には、平穏無事であって欲しい。

 家内安全のお守りでも買いに行くか。

 誰と誰に渡そうかと指を折りながら、赤木は1月のカレンダーを見つめ、有給申請書類の理由欄への記入内容に思いを巡らせるのだった。



2006.01.01 終 



・2006年が皆様にとって、穏やかな1年になりますように⋯!