夏のIHが終わり冬の選抜も過去の話題になって一番気の抜けやすいこの時期、私立陵南高校のバスケ部員が、それでも真面目に練習を続けていられるのは、満場一致で新キャプテンに任命された仙道彰の人徳の賜物でもなければ、田岡監督の威厳の賜物でもない。すべては、仙道の隣で常に厳しい監視の目を光らせている、こちらは新副キャプテン・越野宏明の涙ぐましい努力の成果である。
今もバスケ部が練習に使う体育館では、掃除当番以外の全部員が、おのおの黙々と練習前の準備運動を行っていた。その中には一組になってストレッチをこなす、くだんの新キャプテンと副キャプテンの姿もある。
「聞いたぞ、仙道。おまえ3年の妹尾さん振ったんだってな。⋯⋯明日大雨が降ったらおまえのせいだ」
顎が脚につきそうなほど上体を倒した仙道の背へ、更にじわじわと加重しながら越野が恨めしそうな声で言う。
「なに? 明日雨降るとマズイことでもあんの?」
すっとぼけた仙道の言葉に、そうじゃねえだろ! と一声吠え、彼の背から手を離した越野は、
「妹尾さんつったら学年⋯⋯や、学校で1位2位争う美人じゃんよ! それを振るか? フツー。それにおまえ⋯⋯」
このとき上体を起こした相方の顔を、背後から覗き込む彼の表情は真剣だった。
「“来る者拒まず去る者追わず”⋯⋯付き合って欲しいって言われて、今まで一度だって断ったことあったかよ?」
「⋯⋯⋯⋯」
越野の言うとおりだった。
仙道はハッキリ言ってひどくモテる。
これまでに、後輩・先輩・同級生、果ては他校の生徒まで、いったい何人の女の子から告白されただろう。そしてその一度だって、彼は交際のお願いを断ったことがなかった。既に誰かと付き合っているときは、さすがに断ることにしていたが。
その仙道がフリーの身で交際を断ったのである。
しかも振った相手が相手だ。
噂は冬場の火事の勢いで、校内に広まってしまったのだった。
「参ったなあ⋯⋯」
ポリポリと頬を掻きながら、ちっとも困惑を感じさせない口調が仙道らしい。しかし1年生のときから部内で最も彼の近くにいる越野は、この一見なにも感じていないように思える新キャプテンが、いま本気で困っていると見抜いていた。
「妹尾さん傷つけちゃったかなあ⋯⋯」
仙道の困惑はそこにある。
「ったりめーだ! 今ごろ反省したって遅せぇんだよっ」
背後からどつき兼ねない勢いで越野は言い放つ。
反省するくらいなら最初から断らなければ良かったのだ。いや、それ以前に、好きでもないのに誰とでも付き合っていたこれまでが悪い。
仙道の言い分としては、付き合ってみてから好きになることだってあるかも知れないじゃないか、なのだが、そう言いながら、過去に一度もそんな状況は生まれなくて、仙道に本気では想われていないのだと悟った女の子たちが自ら去って行く、というのが常だった。
仙道は本当に優しい。でも誰にでも優しいなんて、彼女達には耐えられなかったのだろう。『特別』でいられなければ、付き合う意味はないのだ。
「だからさー、俺が言ってやってたろ? 博愛主義なんて絶対いいことないぞって」
――現にこうして妹尾さんを傷つけて、おまえだって困ってんじゃん。
容赦ない弾劾に苦笑しつつ、今度は仙道が越野の背を押してストレッチを促す。
「⋯⋯で? 一体どういう心境の変化なんだよ?」
ここへ来てようやく、越野は一番訊きたかったことを話題にした。
「んー⋯⋯」
珍しく仙道が口籠る。
「誰か本気で好きな娘でもできたのかよ?」
その誘水に背後の気配が変わるのを越野は感じた。仙道にしては珍しく、言おうか言わまいか迷っているらしい。そこで越野は更に突っ込んでみる。
「図星、だな?」
「好きな娘、って言うか⋯⋯好きなヒト?」
「が、出来ちゃったんだ?」
「そーゆーこと」
仙道の微妙な言い換えに、越野は機敏に反応していた。
『好きなヒト』
どうやら仙道が惚れているのは年上の人らしい。
が、それがまさか同性で、しかも自分も知っている男だなんてことまでは、いくら勘の鋭い越野にも気付けよう筈がなかった。
仙道彰、17歳。
あと数分で始まってしまう部活の時間を前に、陵南高校バスケ部の新キャプテンは今、本気で困惑していた。
仙道が『その人』に対する自分の気持ちに疑いを持ち始めたのは、今から半年ほど前のことになる。
バスケ部の練習が完全オフになった、夏休みの一日。仙道は、当時付き合っていた彼女と山下公園に来ていた。
夏休みだからなのか、普段からデートスポットとして有名なこの公園は、いつもよりカップルの姿が目立つようだった。
――昼間っからお熱いことで。
自分だって、傍目にはそのお熱いカップルの片割れであるくせに、仙道はそんなことを思いながら彼女と並んで歩いていた。
そのとき彼女が海を指さしながら、何か言った。
それで仙道は海へと目線を投げた。
陽の光が反射して海面が眩しい。
白く見える海原から視線を外したとき、その人物は仙道の視界に不意に飛び込んで来た。
「牧さん⋯⋯」
思わず仙道はその人の名を口にしてしまっていた。
白いTシャツに紺色のランニングパンツという軽装で、仙道の視線の先から走って来たのは、間違いなく、海南大付属高校バスケ部主将の牧紳一だった。
自分の名を耳にしたのだろう牧の、それまで何にも焦点を合わせていなかった黒く大きな瞳が、声の主を探すように一瞬虚空を彷徨い、
「あ⋯⋯」
見知った顔を映し出して更に大きく見開かれる。そして次の瞬間、彼の表情が決まり悪そうに曇ったのは、知人がデート中だと気付いたためらしい。
邪魔をしてしまったと思ったのだろう。
ちょっと目だけを動かして目礼し、牧はそのまま走り去ってしまった。
「牧さん⋯⋯」
振り返って見送った牧の後ろ姿は人影に遮られ、あっという間に仙道の視界から消えてしまう。
明確な意図があったわけではない。が、このとき仙道は、牧を呼び止められなかったこと、それを自分がひどく残念に思っていると気付いていた。それは落胆と言ってもいい心の動きで。
なぜなのだろう。
今はデート中だ。当然彼女のことを第一に考えるべきなのに、自分は牧を呼び止めて一体何をしたかったと言うのか。
――それに⋯⋯。
罪悪感にも似た、もやもやした嫌な感じが胸に込み上げてきているのだ。
これは一体何なのだろう。
これまでにだって、デート中知り合いに見つかって声をかけられたことは何度でもある。別に付き合っていることを隠したりする性格ではないし、人に見られて困るようなことは何もないから平気だった。こんなふうに何か悪いことをしたような気分になったのは初めてだ。
その日、仙道は悶々とした気分のまま彼女と別れた。
別れた後も家路を辿る間中、彼の自問自答は続いている。
最初は、IHのことで自分が卑屈になっているのかも、とも考えた。神奈川県予選で海南に敗れ、湘北にも負けて、仙道たち陵南はIH行きの切符を手に出来なかった。だから海南の牧を見て、スッキリしない気分になったのかと。
でもそうだとすると、牧を呼び止められなかったことに落胆しているのはおかしい。説明がつかない。
いくら考えても納得のいく答えは出せなくて、江ノ電の中、仕方なく仙道はひとつの決意を固める。
――牧さんに直接会ってみよう。IHが終わったら。
それが一番確実で最良の選択に思えた。
「仙道?」
白目の少ないその瞳を真ん丸に見開いて、思わず牧は素頓狂な声を上げていた。
ここは海南大付属高校の体育館。
その入口を額縁に、奇妙なほど違和感なくスラリとした肢体を晒して立っているのは、私立陵南高校バスケ部のエース・仙道彰なのである。
「こんばんは」
掴みどころのない不思議な笑顔を浮かべ遠慮の素振りも見せずに、陵南高校バスケ部のエースは、牧ひとりが残って練習を続けていた体育館の中へ入ってきた。
「おまえ⋯⋯」
仙道は当たり前だが部外者であり侵入者だ。ここは抗議すべきところなのだが、彼の態度があまりに堂々としていて、呆れた牧には二の句がつげない。
「ずいぶん遅くまで練習してるんですね」
IHも終わったばかりなのに、と話し掛けてきた一つ年下の男に、
「何しに来たんだ?」
牧は怒るでもなく迷惑がるでもなく、至極当然に沸き上がってきた質問を投げていた。
「牧さんに会いに」
間髪入れず返って来た答えだが、悪巫山戯の類いではないらしい。答える瞬間にだけ、仙道の顏から例の笑みが失われていたことを牧は見逃さなかった。ただ次の一瞬にはもう、元の掴みどころのない笑みを浮かべていたのだが。
「さっきまで校門のところで待ってたんです。バスケ部の部員も何人か見かけたし牧さんもそろそろ出てくるだろうと思って⋯⋯。なのに牧さんなっかなか出て来ないもんだから」
ここまで入って来ちゃいました、と訊かれもしないことまで喋る仙道は、フロアに転がっていたボールをひとつ拾い上げ、スッと額の上で構えた。
「牧さん、一対一、付き合ってくれませんか」
言い様、スナップを効かせて右手首を翻す。
宙に放り出されたボールは美しい放物線を描いて飛び、スパッ! とキレのある音を発て、それが己の意志ででもあるかのようにリングを掠ることなくネットを擦り抜けた。
そのシュートに半ば目を奪われた格好で、床を転々とバウンドするボールをも目で追いながら、
「今からか?」
牧はゆっくりとした口調で部外者に訊き返す。
「でもいいんですけど⋯⋯」
今日はもう時間が、と仙道は今度ははっきりと笑った。電車を乗り継いでいるうちに終電に乗り損ねるのはご免だ。
「それ言うためだけにわざわざここまで来たのか、おまえは」
「ええまあ、そんなもんです」
呆れ顔の牧に、仙道自身も内心苦笑いだった。実のところ、何を言うかなんてことは今の今まで考えていなかったのである。会えば言いたいことが見つかるんじゃないかと思っていた。そして、思い付くまま口にしたのがさっきの台詞だ。
牧がボールを片付けフロアにモップがけをするのを仙道も手伝いながら、IHのことを尋ね新しいチームのことなどを話した。
牧と試合会場以外で会うのは夏休みの山下公園以来まだ二度目である。なのになぜか不思議なくらい違和感やぎこちなさがない。もしこのまま、ふたりの共通点であるバスケ以外の話題が言の葉にのぼっても、きっとこの雰囲気は損なわれなかっただろう。その居心地の良さは、牧の人柄のなせる業だったのかも知れない。
そうやって話をするうちに、お互いの練習がオフの日、ゴールのある公園で会うことが自然と決まっていた。
牧が身支度を整えるのを待って、仙道は彼と一緒に学校を出た。
そうして学校から一番近い駅まで仙道を送った牧は、別れ際、仙道を振り返ってこう言った。
「ホントはな、俺もう一度おまえと勝負してみたかったんだ」
と。
このとき牧が見せた屈託のない笑みは、彼を年上のしかも同性であるということから、完全に仙道の認識を解き放ってしまった。そしてこの瞬間、仙道は自分の抱えていたもやもやした気持ちの正体を知ったのだった。
その日から、牧と会うことは、仙道の中でただ一緒にバスケをするということ、それ以上の意味をもつことになる。
その日の仙道はどこかいつもと違っていた。上の空というのか、ときどきぼんやり宙に目を遣って、かと思うとじっとこっちを見詰めていたりする。何が違うと云って、口数が極端に少ないのだ。おまけに普段の半分も笑わない。
ただ、一対一を始めれば、ボールと相手とへの集中力はいつも以上で、注意力散漫な感じは微塵もなかった。
だから敢えて、牧は何も言わないでいる。仙道に対し私的なことにまで口を出せる立場に自分はいない、彼はそう思っていた。
この公園で休みのたびに会うようになって、仙道と牧との距離は一気に縮まった感がある。『同県内高校のバスケ部員同士』から始まったふたりの関係は、今年のIH予選で対決して以降、互いをそれと認め合うライバルになった。そして今は、その関係を何と言い表わしていいのか判らない――ライバルと言えばライバルで、友達と言えば友達で、仲間と言えば仲間――お互いが己のチームメイト達と共有するのとはまた別の、一種の連帯感を持つようになっていた。そこには、ライバルチームのエース同士が誰にも知られないようこっそり会って練習を重ねているという、そんな秘密をふたりだけで共有していることに対する快感のようなものも含まれている。その感覚を意識の表象に確認することは、牧にとってひどく心地良いものだった。
ただし、ふたりのこの関係が成立するのは飽くまでもバスケという枠組みの中に於いて、である。
少なくとも牧はそう思っていた。だから今も何も言おうとしていない。
仙道はそんな牧の思惑を知ってか知らずしてか、尚も肝心なことを彼に告げられないまま、刻一刻と時間を無駄に過ごしてしまっていた。実はこの日、彼は牧に自分の本心を伝えようと決意していたのである。
もうすぐ冬の選抜が始まる。そうなれば当分は牧とこうして会うことが出来ない。更に選抜が終われば、牧はそのまま受験勉強に明け暮れることになる。いくら海南が生徒達にエスカレーター式の進学を許していると言っても、簡単な進学試験はあるのだ。当然その間も会えないだろう。
だから今日告げよう、と。
オフェンス・ディフェンス共に3回ずつ、ふたりで交代しながら一対一を繰り返し、その後10分間の休憩をとる。いつの間にかそのことは習慣になっていて、確認するでもなくふたりはフェンスを背にしたベンチへ移動した。
「牧さん」
冬でも真剣に動き回れば頬を伝うほど汗が流れる。その汗をスポーツタオルで拭いていた牧に、仙道がようやく声を掛けた。牧が汗を拭う手をとめて、自分に向き直るのを確認してから仙道は言葉を継いだ。
「付き合ってくれませんか」
言いながら、仙道は我ながらスマートじゃないぞと思った。今日日の男子高校生、いや中学生でももっと気の利いた言葉で告白するだろうに。
仙道の視線の先で当の牧はきょとんとしていた。言われたことの意味を彼は把握し損ねていたのだ。
――何に付き合えって?
思わず牧がそう問い返そうとしたとき、再び仙道が口を開いた。
「俺、牧さんが好きです。友達として、じゃありません」
ここで大きくひとつ深呼吸。
「解りますよね、俺の言ってること」
仙道がそう言い終わった途端、ボッと音が聞こえてきそうな程ハッキリと、牧の顔は朱を刷いた。
「じょ⋯⋯冗談にしちゃタチが⋯⋯」
悪いぞ、という言葉に仙道の声が更に被さる。
「本気です!」
いつもどこかしら余裕を見せる仙道が半ば叫ぶようにして訴えかけるのに、正直牧は驚いていた。こんなふうに感情を前面に押し出す彼を見るのは初めてだった。
「冗談なんかでこんなこと⋯⋯」
言える訳ないでしょう。
仙道は知らず牧から視線をはずし、俯いていた。牧よりも5センチ余り背の高い年下の男が、なんだかしぼんで小さく見える。
「牧さん困らせるつもりはなかったんです。⋯⋯でも」
そこまで言って言葉を切り、仙道はひとつ溜息を吐く。
重苦しい沈黙がふたりを飲み込もうとしていた。
風がふたりの肌に冷たく感じられ始めている。
「⋯⋯⋯⋯」
牧が何も言えないでいると、
「牧さん。牧さんは俺のこと嫌いですか」
俯けていた顔を上げ、仙道が真摯な眼差しで牧を見つめる。その視線から眼を逸らすことが出来ず、それでも牧は首を横に振った。この男を嫌いだと感じたことは過去に一度だってない。それだけは確かだった。
「仙道、俺は⋯⋯」
今度は牧が口籠る番だった。そして、仙道の眼から逃れるように視線をはずす。
「俺は⋯⋯おまえをそんなふうに見たことがないから⋯⋯だから⋯⋯」
それきり沈黙してしまった年上の人の横顔を、仙道はじっと凝視める。牧は言葉を探しているふうだった。でも言葉が見つからないのだろう。口元を引き締め、ついには遠くへ視線を投げてしまう。
「なんで、俺なんだ」
暫くして沈黙に耐え兼ねたように牧が訊いた。
「夏⋯⋯県予選で対戦したでしょう。試合であんなに真剣になれたのは、初めてだった⋯⋯」
そしてあの〈熱い〉夏をくれたのは――。
生まれて初めて、仙道は他人(ひと)に本気になった。いや、本気にさせられた。きっとあの時、自分はこの男に惹かれたのだ。
牧が仙道を見た。
そして静かに首を横に振った。
「今すぐには答えられん」
それが今の彼に言える精一杯だった。
冬の早い日没を背にベンチから立ち上がった牧を、仙道は眼を眇めて見上げる。
――次に会うときまでに、答えを見つけるから。
スポーツバッグを片手に公園を出て行く男の背を、仙道は無言で見送った。陽が落ちてあたりが暗くなってしまうまで、彼はベンチから動くことができなかった。
冬の選抜が終わり、もうすぐ牧の進学試験も終了する。
そんなある日、仙道の家へ電話を掛けて来た牧の声が、
『次の日曜日に』
無表情にそれだけをを告げた。
――次の、日曜。
告白したあの日から、初めて牧に会う日だ。
振ってしまった彼女のことを気にかけながら、仙道はその日までの数日間を重苦しい気分のまま過ごさなければならなかった。
「なんかすごい久しぶりの気がするなー」
意図的に仙道より早く公園に来ていた牧は、入口から現れた待人と目が合うや否や、殊更明るい声で話し掛けた。曇っていた仙道の表情が、この一言で少し和らぐ。
「進学試験、どうでした?」
「訊きにくいことをアッサリ訊くヤツだな、おまえは」
大袈裟に顔を顰めた牧を、仙道は笑った。
「だって牧さんは勉強もできるって聞いてますよ」
「誰からだ」
「ウチのチェックマン。だから訊いても平気だと思って」
まあなー、牧はとぼけた表情で空を見上げた。
「みんなが言う程には難しいと思わなかった⋯⋯かな」
そんな言葉が少しも厭味に聞こえないのは牧の人徳の賜物だ。
「ほら~」
仙道は思わず牧を指差し笑ってしまう。
「だから牧さん、みんなに慕われるんですよ。文武両道、尊敬しちゃうな」
そう言った仙道の声のトーンは低い。慕う、という語句に心が揺れたのだ。
「そんなことないさ」
おまえだって勉強もできるくせに、と仙道の変容に気付かぬふりで応え、牧はいつものベンチに腰を下ろした。覇気のない顔で仙道もそれに倣う。
「勉強とスポーツは両立できたけど、それ以外は駄目だったからな」
その一言に過剰に反応し、仙道はハッと牧を見つめた。
両膝に肘を預け前屈みになり、地面の一点をじっと睨むようにして牧が話し始める。
「進学試験が終わったその日にさ、同級生の女の子に付き合って欲しいって言われたんだ。でもその場で断った。今まで口もきいたことない子だったし、好きでもないのに付き合えない、そう思ったからな」
仙道はギクリと身を強張らせた。自分の告白への、これが牧の出した解答なのだと思ったのだ。そう思ってしまったら、もう牧の顔も見ていられずぎゅうと目を瞑り俯く。そんな仙道をよそに、
「今までも、同じ理由で断ってた」
牧の独白は続いていた。
「⋯⋯でも今度は違った。彼女に付き合えない理由を訊かれたとき、俺の頭にあったのはそれだけじゃなかったんだ。仙道⋯⋯おまえのことを考えてる自分がいた」
仙道は弾かれたように立ち上がった。ベンチに座る牧を斜め上から見下ろす角度で、しかしそれ以上どうするでもなく立ち尽くす。
牧は更に言葉を継いだ。
「おまえが俺を想ってくれてるのと同じようにおまえを好きなのかどうかはやっぱり判らない。だけどおまえに告白された日、俺はその場で即座に断れなかった。迷ったんだ、確かに。それが⋯⋯それだけがすべてなんだ」
それじゃ駄目か?
ここまで言って初めて、牧が困ったように仙道を見上げた。見上げられた仙道はと言えば、これはもう無意識に、必死で首を横に振っていた。
牧の中には確かに自分が住んでいる。牧は真剣に自分のことを考えてくれてもいる。それだけで幸せだと思う。それくらい、自分は牧が好きなのだ。
単純かも知れないが、それだけに正直な気持ちだった。
「⋯⋯良かった」
首を振る年下の恋人候補を見て、フッと頬を緩め牧が笑う。
「じゃあそろそろ始めるか」
いつものようにボールを手にし、牧が立ち上がった。
今日の一対一は一生忘れられないものになるだろう。牧も仙道もそう思っていた。
はじめよう。
ふたりの新しい関係も、今、ここから。
1996.05.xx 脱稿
・初出:『GORGEOUS』1996.05.19 発行/2023.02.05 微修正