『明日はきっといい日・2』


 どあほうがインコを拾って来た。
 冬の選抜予選を間近に控えた休日の午後、シュート練習を終えた公園の日なたで、例によって例のごとくぶっ倒れていたところ、そのまま気持ちよく眠ってしまった。そして目が覚めたとき、そいつはどあほうの額の上に乗っかっていたらし。
 急に額に痛みが走ったので飛び起きた、というのが事の真相のようだが、その飛び起きた勢いにもめげず、一瞬は羽ばたいて数メートル先へ避難したものの、そいつは逃げるどころか再びちょこちょこ戻って来たという。
 その人懐っこさは恐らく飼われていた証拠だと判断したどあほうが、家へ帰るよう言い聞かせ(どあほうの口ぶりからして、どうやら本気でインコに向かって話し掛けたらしい)空に向かって何度も放り上げてやるのに、そのたび数十メートル先へ力無く落下してしまう(後で判ったことだが、風きり羽根を切られていたことが原因だった。飼われる鳥が施される、よくある処置だそうだ)。それで仕方なく、アパートまで連れて帰ることにしたのだそうだ。
 それでも途中、近所の交番に立ち寄って拾得物(?)の届け出をしておくあたり、しっかりしているというか何というか⋯⋯。実際、この時点では家へ連れて帰るかどうか迷っていたらしい。が、交番で引き渡そうにもインコの方がどあほうから離れようとせず、
『交番のおっちゃんも鳥を預かる用意はしてないって言うから⋯⋯』
 飼い主が見つかった時のために、どあほうは連絡先を書き残して引き上げることになった。もちろんインコの世話はどあほうが引き受けて。
 どあほうのことだ、天才に不可能はないとか大船に乗ったつもりでとか、調子のいいことを言って出て来たに違いない。
 だが一週間経っても10日が過ぎても、飼い主は現れなかった。捨てられた鳥だったということなのか、それともこの近所で飼われていたのではなかったということか。ともかく、拾って来てから二週間目、どあほうは自分で飼い続ける覚悟を決めたらしい。
 俺がどあほうのアパートへ呼びつけられて来たときには、何故かそいつは昔金魚を飼っていたという小さな水槽の中にいた。底には新聞紙が敷かれ、二つの小鉢に水と餌らしい雑穀、長方形の水槽の対角線に止まり木らしい木の枝がかなり傾いてはいるものの取り付けられている。どあほうのお手製のようだ。
「狭めぇのがダメなのかなあ」
 俺を見るなりどあほうはそう言って、水槽を指さした。インコは水槽から出してやると鳴き止んで、気に入っているらしいどあほうの頭の上に乗っかって遊んでいるのだが、中に戻した途端に鳴き出して、こうなるとどあほうが側にいてもダメらしい。今も不安げな声でピチピチ鳴き続けている。そんなに大きな声ではないし窓も閉め切っているから、近所迷惑にはならないだろうが、どあほうにしてみれば鳴き止まないということ自体が気掛かりなのだ。
「出してやると⋯⋯」
 どあほうが水槽の蓋を開けると、インコはピョンと飛び出して来てどあほうの肩によじ登り、そこから更にジャンプして頭の上に乗っかった。坊主の伸びかけた赤い髪の毛をしっかり足で掴んでバランスを取っている。もちろん、さっきまでの不安げな声はどこへやら、だ。
 インコに色の識別ができるのかどうか俺は知らないが、もしかしたら赤い色を気に入っているのだろうか。交番でもこいつはどあほうの頭の上にいたという。さぞかし奇怪な風体に見えたことだろう。目が覚めるような真っ赤な髪の中に、頭の方から黄色、黄緑、水色と、自然なグラデーションで変色した、こちらも目が覚めるように鮮やかな体色のインコが一羽、乗っかっていたのだから。
「な? 鳴き止むんだ」
「なら出して飼えば」
「バカ言え。どこンでも糞して大変なんだぞ!」
 ――それに臭いし、汚ねぇし!
 俺が提案するまでもなく、一度は試してみたらしい。
「じゃ、買えよ、トリカゴ」
 ――ぐっ。
 どあほうが返答に詰まって、苦々しい表情(かお)になった。その表情を見、俺は今どあほうの家計がピンチなことを思い出す。
 まだインコを拾う前のことだ。
 俺がこの部屋に泊まりに来ていたとき、どあほうが家計簿らしきノートを物凄い形相で睨み付けているのを見た。冬場は暖房機を使うため、ほかの季節より出費がかさむらしい。
「⋯⋯とにかく、ダレか持ってねえか訊いてみれば?」
「ダメだった。洋平も忠も⋯⋯」
「部の連中は」
「あっ」
 ――そうか。
 盲点を突かれたのか、どあほうはびっくりしたように俺の顔を見た。プライベートな頼み事をしてもいい相手としてどあほうの頭にインプットされているのは中学のときの仲間だけで、未だ部の連中はその中に入っていないのだろうか。
 俺は疎外感にちょっとムッとして、でも今自分はインコのことで呼び出されているのだと思い出し、妙な気分になった。思わず口元がほころんでしまいそうだ。
 そんな俺の変化には気付かず、どあほうはさっそく部の緊急連絡網のプリントを片手に、黒く重たい旧式電話のダイヤルを回し始めていた。






 すぐに鳥籠の持ち主は見つかった。
 緊急連絡網は宮城・新キャプテンと彩子先輩を先頭にした二つのルートで構成されているのだが、どあほうが最初に問い合わせたのは彩子先輩の方で、そこでいきなり当たりが出たのだ。
「リョーちんが持ってる筈だから、訊いて貰って来てくれるって」
 本当かどうか判らないが、どあほうの家の近くまで来る用事があるとかで、ついでに届けてくれるらしい。もし宮城先輩から借りられないようなら友達に当たってみてあげる、とまで約束してくれたという。彩子先輩に限らず部の連中は、どあほうに対して何故か甘い。
 数分後、彩子先輩から電話が入って、予定通り宮城先輩から借り受けて来ることが判った。その時点で俺は腰を上げた。
「どこ行くんだよ」
「帰る」
「なんで!? 一緒にいてくれたっていーじゃんかよ」
 どあほうの言い草に、俺は玄関へ向かいかけていた足を止め、
「⋯⋯俺がいて困ンのおまえだろ」
 どあほうは俺達のことを誰にも知られたくないらしく、事あるごとに否定し、伏せようとする。俺はそんなどあほうの態度が気に喰わなかった。だから無意識のうちに、俺の言葉には刺が立っていたに違いない。
「⋯⋯う」
 案の定、言葉に詰まってどあほうが俯く。
 頭の上のインコが肩に落ちた。
 俺はどあほうに背を向けて玄関にしゃがみこみ、務めて平気なふりをして靴を履く。いざ外へ出ようとドアノブに手を掛けた瞬間、
 ――はっし。
 いつの間に背後にまで来ていたのか、どあほうの手にウィンドブレーカーの裾を引っ張られた。
 振り向くと、座り込んだ姿勢のどあほうが、困った表情(かお)で俺の顔を見上げていた。頭で結論が出るよりも先に、反射神経が働いてしまったらしい。そして、言葉が小さく後からついて来る。
 「⋯⋯いい。居てくれるほーが」
 白目の全然見えない、つぶらな小さい二つの瞳で、どあほうの肩に乗ったインコは小首を傾げながら俺達を見ていた。






 最後の電話から約一時間後、鳥籠を抱えてやって来た彩子先輩は、部屋に上がるなり俺と目が合って、一瞬だけ意味ありげな表情(かお)をした。それは、驚いたというよりもむしろ、やっぱりねという確信に満ちた表情だった。
 が、
「あら、あんたもいたの」
 口にしたのはそれだけで、さっそくインコを鳥籠に移し、後はどあほうを相手に飼い方のコツとやらを伝授し始めている。
 彩子先輩が気を遣ったのか宮城先輩が気を利かせてくれたのか、鳥籠と一緒に『インコの飼い方』なんて本から、餌やら何やら細かい物もついてきていて、ついでに言うと、その『インコの飼い方』を見て初めて、どあほうの拾って来たインコがセキセイインコという種類なのだということを俺は知った。
 でもオカメインコだろうがセキセイインコだろうが、俺達にとってインコはインコ。それ以上でも以下でもない。
「⋯⋯毎日世話してやんないとダメっスよね?」
「そうねえ⋯⋯」
「遠征のときとかどうしよう⋯⋯」
 不意にどあほうの情けない声が耳に飛び込んで来て、俺は手にしていた本から顔を上げた。
「ウチで預かってやる」
 部屋の隅からそう宣言したら、
「そうね。そうして貰えば? 桜木花道」
 どうやら先輩は俺達の味方みたいだ。
 先輩は一通りの指示をし終えると、何か解らないことがあれば電話するようにと言い置いて帰って行った。
 鳥籠の中のインコは、止まり木から籠の格子になっている金網に飛び移ったりして忙しなく動き回ってはいるものの、あの不安げな鳴き方はしなくなっている。そのうちこの鳥籠での生活にも慣れて、じき落ち着くだろう。
「良かったなー、新しいウチが出来て」
 金網の隙間から手を入れて指先をインコに突つかれながら言うどあほうが、この部屋の中で一番嬉しそうな表情(かお)をしている。
 これでようやく目の前のゴタゴタが片付いた。それで遅まきながら、インコに名前をつけてやることになった。飼い主が見つかったとき別れが辛くなるからと、今まで名前はつけていなかったのだ。
 ピー子、ピー吉、ピー太⋯⋯それらしい名前も候補に挙がったのだが、肝心な性別が俺達には判らず、さんざん考えた挙げ句、ついた名前は『インコ』。
 まあ、どあほうにしては上出来だ。天才やらバスケットマンでないだけマシだろう。
 そんな俺の気持ちなど知らないだろうどあほうは、『インコ』にしきりと何やら話し掛けている。
 が、急にそのどあほうが黙り込んだ。そして、
「なあ」
「?」
 振り向きざま、訴えるような口調で、
「けど、コイツいつかは死んじまうよな? 俺らより長生きする訳ないよな?」
と、言い出した。言いながら、もうどあほうの大きな目には涙の滴が盛り上がっている。
 俺はコイツに泣かれるのが一番堪える。
 でも、大丈夫だとか死なないとか、そんな嘘は言えなかった。詳しいことは知らないが、インコの寿命が人間のそれより長いとは思えない。
「⋯⋯そン時は」
 ――一緒に泣いてやる。
「おまえがかよ」
 うん、と俺が大きく頷くと、どあほうは片方の眉を上げ、妙な表情(かお)をして見せた。
 想像つかねえ、ということらしい。
 だが次の瞬間どあほうは、俺の言葉の何が嬉しかったのか、眦に涙を残したままでニッコリと破顔した。
 ――泣いたカラスがもう笑ろた。




 何年先かは判らない。
 高校を卒業していても大学を卒業していても、もしか実業団やプロチームに入って別々の進路を歩んでいたとしても、そのとき俺はどあほうの部屋で、主を失ったこの鳥籠を前にして、約束どおり、コイツと一緒に泣くのだろう。



1997.10.19 脱稿 



・初出:『O』97.10.26 発行
・イメージsong 陣内大蔵『BAKU』