誕生日というものが、子供の頃ほどわくわくする行事でなくなったのは、いくつ歳を重ねたあたりからだったろう。幼いときはひどく待ち遠しく、指折り数えていた筈なのに。
それでも成人後なら、気の置けない仲間とつどい酒を飲む口実くらいにはなる。
12月になってすぐ、京のもとへは紅丸から誘いの電話が入り、体があいている日と食べたい物のリクエストを訊かれ、その数日後には、予約した都内の店と時間とが地図情報つきでLINEグループ宛に送られて来た。予約日は誕生日当日になっている。メンツは例年通り、主役の京と、紅丸、大門、真吾の四名。これがグループ登録されているメンバー全員だ。ここにメンバー外の名が並んだことはなかった。
ここ数年、場所はだいたい居酒屋系――都度、店は違う――だが、主賓である京に不満はない。敷居が高い店で飲みたいとは思わないし、メニューが豊富な上、くつろげて適度に騒げるのがなにより気楽でいい。奢られる立場だからと言って、マナーに煩そうな<お高い店>で祝われたいと望んだことはなかった。
真吾が幹事を務めるとチェーン店になりがちだが、紅丸チョイスの年には、個人経営の創作料理系になることがほとんどだ。今年は京の希望に沿って、取り扱う魚の種類が豊富な和食系の店が選ばれていた。
店内は平日であるにも関わらずそれなりに混んでいて、団体客が目につくのは忘年会の名目でテーブルを囲んでいるからだろう。
夕刻から飲み始め、日付が変わる2、3時間前に解散になるのが最近の流れで、今年も21時を少し回ったあたりでお開きとなった。
地下鉄組の大門と真吾とは店の前でわかれ、京と紅丸は在来線の最寄り駅まで共に歩く。京の腕には、三人から贈られた誕生日プレゼントをひとまとめにした紙袋がぶら下がっている。紅丸からは革細工のウォレットチェーン、大門からは、奥方の見立てで選ばれたネックウォーマー、真吾からはバイク用防寒グローブ。冬生まれの宿命というやつで、どの年もたいていひとつ以上防寒グッズをプレゼントされていた。
駅の改札を入ったところで紅丸が足をとめ、
「京、年内にはもう会わないかも知れないからさ、ちょっと気が早いけど『よいお年を!』」
と笑って手を挙げる。それに、
「おう、おまえもな! 年が明けたらまた会おうぜ」
京も片手を振って応え、それぞれ違う路線に乗るためにふたりはそこで別れた。
電車を降りた後、京の足は自宅ではなく、あの男が住むマンションに到着していた。
チャイムは鳴らさない。部屋主に無断でつくった合鍵で解錠し、勝手に室内へ上がり込む。いつものことだ。
「よう、八神」
リビングのソファーの肘掛けに背を預け、もう一方の肘掛けに足を投げ出す格好でくつろぎ、スコアを左手にペンを右手に、ヘッドホンで庵が聴いているのは自身が所属するバンドの新曲だろうか。
爆音で聴いているわけではなかったようで、訪問者の声に反応し、眼球だけが動いてその姿を捉え、しかしまたすぐにスコアへと視線は戻って行った。
世間では、庵は京と顔を合わせるたび死ねだの殺すだのを連呼するものと思われているが、それは公衆の面前であることがほとんどだ。こんなふうにふたりだけの空間では、恒例の遣り取りが鳴りを潜める。庵に言わせると、『衆目を集めた場で貴様を惨殺することに意味があるのであって、誰も見ていないところで屠る気はない』ということらしい。
その言葉を鵜呑みにしているわけではなかったが、本気の殺意と戯れのそれとが区別できないほど未熟でも鈍感でもない京は、身構えることなく気まぐれにこの部屋へ足を運んでいた。
京は暖房の効いたリビングの床に紙袋を下ろすと、襟にボアの付いたショート丈のジャンパーを脱ぐ。それをソファー前に置かれたガラス天板のローテーブルの上へ雑に投げ出した。
「八神、おまえ今日がなんの日か知ってるか?」
ソファーの前に仁王立ちし、寝そべる男を見下ろす。
庵はスコアから目を上げるとヘッドホンをはずしてスコアと共に腹の上に乗せ、京の顔を眺めやった。ようやく侵入者と向き合う気になったらしい。
「貴様が俺に殺されるべく生まれた日だろう」
京の視界の端で庵が右手を伸ばし、テーブルの上にペンを転がす。
「⋯⋯おまえの方が後から生まれて来といて、その言い草はおかしくね?」
順序が逆ではないか、と言い募る京を鼻で嗤う男は、
「知らんな」
素っ気ない一言でその指摘を斬って捨てた。
「なあ、祝えよ」
「貴様は馬鹿か。以前(まえ)にも言ったはずだがな、『八神』には生誕を祝う習慣などない、と。貴様の記憶力はトリ並みか?」
三歩あるけば忘れるのか。そんな蔑む台詞にもいまさら腹は立たない。これも今となってはお定まりの応酬というやつだ。
「べつに忘れたわけじゃねえよ。もしかしたら気が変わって祝おうとか思い直してるかも知んねーじゃん」
「そんな日、一生来るものか」
庵はせせら嗤って取り合わない。
「そもそも⋯⋯、」
すっと眇められた庵の紅い双眸が京の顔を捉える。
「貴様の母親が懐妊し、それを知った上でオロチに<仕込まれた>のが俺なのだぞ?」
――八神庵は、草薙京のためだけに生み出された存在。
「八神庵(オレ)という存在にまさる祝儀などないと思うが?」
これ以上のギフトがあるものか。
「⋯⋯それを言われちまうとなァ」
肩を落とし、ふう、と小さく溜め息をついて目蓋を伏せ、京は後ろ髪に手を遣った。
静が京を身籠り、その三月半(みつきはん)ののち、オロチによって孕まされたのが庵の母だ。作り話であって欲しくなるおぞましさだが、それが事実であることを京は知っている。
『上辺だけを取り繕った言祝ぎ(ことほぎ)ならいくらでもくれてやる。が、貴様の望みはそんなものではないのだろう?』
そう言われたのは一年前の今日だった。どうやら今年も言葉では祝って貰えないらしい。
「仕方ねェ」
腹上のスコアとMP3プレイヤーとをヘッドホンごとローテーブルへ避難させると、京の片膝が庵の胴をまたいでソファーに乗り上げる。
「言葉は諦める。⋯⋯けど、それ以外の欲しいもんは勝手に貰ってくことにするわ」
真上から見下ろされ、開襟のドレスシャツの裾から潜り込む不埒な手を払い除けることなく、
「好きにするがいい」
そう応じて、寄せられる口唇(くちびる)を避ける素振りも見せない男には、京の所業にあらがう気はないようだった。
Happy Birthday, Kyo !
2018.12.12 終/2020.03.21 誤字修正/2020.08.23 微修正
珍しく(⋯)記念日当日に間に合った⋯!(嬉)