『to HEART』 R18


「なんで!?」
「なんでも何も⋯⋯。俺は毎年そうしている。貴様とて知っているだろう」
「毎年って、今度のは特別なんだぜ!? 来年は二〇〇〇年になるの!! 西暦二〇〇〇年!」
 ミレニアムがなんだ。
 それがどうした。
 俺には関係ない。
 庵は口から出かかった言葉ぜんぶを飲み込んで、しかし同時に京を納得させることも諦めていた。
 これ以上なにを言っても無駄だ。
「とにかく、だ。俺は明日から本家に帰る。三箇日も向こうで過ごすからな」
 顎を上げ、京を見下す視線で結論だけを冷たく告げて、庵は自室に引き籠もった。
 自分を拒絶するように閉まったドアの前で、京は茫然と立ち尽くす。
「ウソだろぉ⋯⋯」






 時は一九九九年、師走。
 暮れも押し迫ったその日、大晦日の予定を訊くために庵の部屋を訪れた京は、彼の口から信じられない言葉を聞かされた。
 曰く、年末年始は帰省する。
 新年がどんな記念の年だろうと八神家の年末年始の行事に変更はない。当然、当主である庵の行動も例年と同じで、そこに例外や特例の入り込む余地などないというわけだ。
 こうして、記念すべき二〇〇〇年の幕開けを、京はひとりで迎えることが決定してしまったのだった。






 前々から、庵の帰省日は三十日と決まっていたらしい。
 庵の機嫌を損ねることを嫌って、終業式の日までは大人しく学校に顔を出していた京は、二十四日の午後から二十八日にかけて、ずっと庵の部屋にいた。だが、その間(かん)一度も庵の帰省は話題にならなかったため、京はそのことを知らなかったのだ。そういう訳で、二十八日に一旦自分のアパートに帰り、改めて庵の部屋で数日間を過ごすべく、準備万端整えて庵のマンションへ乗り込んだ二十九日、京は庵から、冒頭の、帰省宣言を聞かされた次第である。
 庵の部屋を追い出され、すごすごと自分のアパートへ退散した京は、いっそ今から引き返して航空チケットを破り捨ててやろうかとか、航空会社にキャンセルの電話を入れてやろうかとか、実行したら最後、出入り禁止を言い渡されそうなことを、一通り考えるだけは考えて、結局どの行為も実行に移す前に諦めた。
 それをしてしまったら、深く根に持つ庵のこと、事あるごとに自分をいじめる格好の材料にされてしまうのは目に見えている。
 ――それにしたって⋯⋯。
 こんなヒドイ話があるだろうか。
 俺と家のこととどっちが大事なんだ、と、『わたしと仕事どっちが大事なの』的発言はしたくないのだが、一度くらいは訊いてみたい気がしてくる。比べる次元が違う、と一蹴されてしまうことは想像に難くないが。
 京は溜息をついた。しかし彼がどんなに嘆こうと、来るべき日は来てしまうのだ。
 結局、庵と喧嘩別れのような状態になったまま、大晦日当日を迎えてしまった。






 その日、夕方近くになって京はアパートの部屋を出た。食料を買い込むために近所のコンビニへと向かう。
 途中、駅の方向へ歩いて行く、自分と同年代とおぼしき男女の姿がやけに目についた。皆一様に服装に気合が入っているところを見ると、カウントダウンイベントにでも参加しようというところか。
 新年がミレニアム最初の年だということで、この年末、東京近郊では例年にも増して、あちこちで大小様々な記念イベントが企画されているのだ。
 だけど。どれもこれも一人でなんか行きたくない。行けばよけい虚しくなるだけだ。
 惨めな気分を煽られて、京は本気で涙が出そうだった。
 ――世間はこんなに浮かれてんのに。
 別にイベントに行きたかった訳じゃない。庵と一緒にいられるのだったら、部屋の中でテレビを見て年を越したって全然構わなかった。
 それなのに。
「解ってるんだけどさ」
 京はぼそっと口の中でごちる。
 庵ひとりに頼り切っている八神家の体質を、京もちゃんと頭では理解している。既に先代を亡くしている庵には、ワガママをぶっこいて神事の全てを柴舟に押し付けるという自分のように無責任な真似が、現実的にも性格的にも不可能だということも。
 ――それでもさぁ⋯⋯。
 もう少しどうにか出来なかったものなのだろうか。
 頭で理解できても、気持ちはちっとも納得していない。
 コンビニでの買い物を終え、数日間は外出しなくても済むくらいの大量の食料を両手に提げて、京は哀れなほどに肩を落とし、トボトボと家路を辿り始める。
「あーっ、もーっ、マジ泣きてぇっ」
 陽が暮れ落ちて薄暗くなり始めた冬空に向かい、京は一声そう吠えた。






 ――いまごろ京はどうしているだろう。
 出雲地方にある八神の屋敷で、庵がふとそんなことを考えたのは、夕餉の年越し蕎麦を食べ、風呂にも入って、後はもう寝るだけという状況になったときだった。帰省すると同時に祭事の準備に追われたこの数日の間、庵にはほかのことを考える気持ちの余裕が全くなかったのだ。
 神事の際にのみ帰省する当主が使う和室は、庵本人の希望で離れに用意されている。その部屋で、彼はまだ眠らずに起きていた。
 明日は朝早くから親族縁者たちが新年の挨拶に訪れるので、本家の人間はそれに備えなければならない。だから、母と妹、そして使用人たちは母屋の方でもう休んでいる筈だ。
 壁時計の秒針が時を刻む音が、静まりかえった部屋の中でやけに大きく聞こえる。その音につられて庵は時計を見上げた。
 後一〇分程で年が変わる。
 不意に京の拗ねた貌を思い出し、
「西暦二〇〇〇年、か」
 庵は声に出して呟いてみた。
 庵とて、何かに託つけて騒ぎたがる人たちの心情が理解できない訳ではないのだ。イベント好きな京の性格に気付いたのも最近の話ではない。ただし、性分で、庵本人はそういうお祭り騒ぎ一切が得意ではなかった。
 いま京はどうしているのだろう。記念すべき一年の幕開けを、共に祝ってくれる相手をちゃんと見つけられているのだろうか。
 庵がそんなことを思ったとき、携帯電話の呼び出し音が鳴り出した。
 ドキッとして音源を振り返る。庵の携帯は、充電器にセットされた状態で部屋の隅に放置されていた。庵は急いでそれを手に取り、液晶を見る。
 ――あ⋯⋯。
 なぜか携帯を持つ手が熱くなる。
 それは京からのコールだった。






『もしもーし』
 やたらと陽気な京の声が耳元に聞こえる。
『ダレだかわかるーっ?』
 判るも何も、と呆れつつ、庵は律義に答えてやる。
「京だろう」
『そっおでーすっ、当ったりぃっ』
 この時点で、京が酔っていると庵は確信した。京の言葉は明らかに舌足らずだ。
『淋しいからかけちゃった』
 素面でなら絶対口にしないだろう台詞が京の声に乗って、彼の携帯から庵の携帯へと運ばれてくる。京の背後に雑音がないところを見ると、どうやら彼はひとりの自室から電話しているらしい。
 酔っぱらいを相手に何を話せばいいのか考えあぐね、黙りこくってしまっている庵に焦れたのか、
『なんか言えよぉ』
 怪しい呂律で京が催促する。
「貴様、呑んでいるのか」
 訊くまでもないことを口にしたら、案の定、京は憤慨した。
『呑まずにやってられっかよ! 紅丸も大門も真吾もさ、みんなして予定があるって俺に付き合ってくんねえんだもん。ハクジョーだと思わねえっ!?』
 薄情の筆頭は俺なんだろうなと思いながら、だからこそ庵には返す言葉がない。しかし酔っている京は庵の沈黙を気にもとめず、尚も悪態を喚き散らしている。
 京は、自分がひとりにされたと感じさせられる状況をひどく嫌う。好んで一人でいるときならいざ知らず、そうでない場合の彼が誰かとツルんでいないというのは珍しいことなのだ。おそらく京本人に自覚はないのだろうが、彼の周囲にいる人間は皆そのことをよく知っていた。
 庵も例外ではなく、だからこそ、京に対して悪いことをしたと感じている。いっそ彼が京の心中など解(かい)せないような朴念仁なら思い悩まずに済むのだが、そうではないところが庵の不幸なのかも知れない。機微に聡いのも考えものだ。
 ひとしきり文句を言い終えたらしい京に、
「貴様も実家に帰るかと俺は思っていたんだが?」
と、庵は思っていたことを口にしてみた。
 年末をひとりで過ごすことになるくらいなら、京も大阪の草薙本家へ帰るのではないか、と彼は想像していたのである。
 庵の想像どおり一旦はそれを考えたのか、
『年末ギリギリに切符なんか取れねえよ』
 京は移動の交通手段についてそう答え、更にこう言い加えた。
『それに俺嫌いだもん、おまえと違って』
「なにがだ?」
『儀式とか儀礼とか、そーゆーの。メンドーで』
「⋯⋯そうだったな」
『なんだよ。まえからそんなこと知ってるくせに』
 拗ねたように詰る口調が、正直胸に痛い。
 庵はまた壁時計を見上げた。そして寝間着の上から袖無しを羽織り、障子を開ける。廊下へと一歩足を踏み出したところで、遠く山の向こうからゴーンという重厚な鐘の音(ね)が聞こえてきた。
 除夜の鐘だ。
 ながく尾を引く温かい音色に、庵は目を細めてしばし耳を傾ける。
「京、年が明けたぞ」
『えっ?』
 寝ぼけた声で聞き返す京に、
「新年だ。今年は記念の年なんだろう?」
 今度は殊更ゆっくりと言葉を送る。
『あ⋯⋯』
 一気に酔いが覚めたと言わんばかりの京の声。耳元で聞こえる京の呼吸の近さに、彼の存在までをすぐ側にあるもののように感じながら、庵は庭へと降りる。深く降り積もった雪の中を数歩あるき、昼間にはそこから見える山の方角へ目を向けた。鐘撞き堂があるのは、その山の中腹に位置する古寺だ。
『いおり』
「ん?」
『明けましておめでとう』
 改まった言葉が気恥ずかしいのか、少し照れたように京が言う。
「ああ⋯⋯。めでたいな」
 白い息を吐きながら、庵はその言葉に応えた。
 再び山の向こうから、ひとつ、鐘の音が鳴る。
 鐘の音の余韻を聞きながら部屋に戻ったとき、携帯から流れてくる音が、言葉ではなくなっていることに庵は気付いた。
 ――まさか。
「京? おい、京」
 電話に向かって呼びかけるが返事がない。
『スー⋯⋯ッ』
 代わって聞こえて来たそれは、おそらく寝息。
「⋯⋯⋯」
 庵の口端が、知らず綻ぶ。
 電波で繋がっていただけのこんな年越しでも、京は満足したのだろうか。
 思わず頬が緩み、庵は笑んでいる自分を自覚した。
 いま京がどんな表情(かお)をして寝コケているか、目に見えるようだ。
 携帯を耳元から離し、電源を切ろうと指を動かしかけたところで、ふと庵はあることを思いつき、その顔に不埒な笑みを浮かべた。
 ――そうだ、電源は切らずにおいてやろう。
 そうしておけば、京と自分との間にある距離の生み出す時空は消えてなくなったまま。
 京が目覚めるのが先か、それとも充電がなくなるのが先か。
 いたずらを思いついた子供のような表情で、庵は電源を切らずに、携帯電話を持ったまま布団に潜り込む。そして、京が叫べば聞こえるようにとそれを枕元に置き、陽が昇るまでの浅く短い眠りに就いた。






 庵が自分のマンションに戻って来たのは、一月五日だった。
「庵ーっ、おかえりーっ!」
 鍵の掛かっていなかったドアに反射的な警戒心が働き、咄嗟に身構えてはいたものの、いきなり内側から押し開けられ、そこから飛び出して来た物体に抱き着かれて、庵は思い切り仰反った。勿論と云おうか当然と云うべきか、部屋の中から飛び出して来たのは京である。
「遅かったじゃねえか。ずっと待ってたんだぜ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「何だよ、『ただいま』も言えねえの」
「⋯⋯た、ただいま」
 京の勢いに気圧され、庵は躓くように応える。が、そんな庵を構うことなく、
「うん、おかえりー」
 飽くまで京はマイペースで、にこやかに微笑んでいる。
 どうにか京の腕から逃れて部屋に上がり、リビングに足を踏み入れた庵は、あたりを見回して眉間に深く皺を寄せる。
「⋯⋯京、貴様いつからウチにいたんだ」
 庵は出掛ける前に大掃除を済ませ、年内最後のゴミの日にすべての不要品を集積所に出した。それなのに、この散らかり様(よう)はなんなのか。自分の持ち物ではないバイク雑誌やゲーム機、そして漫画などが、リビングの床に所狭しと散乱し、空っぽにしておいた筈のゴミ箱の中はコンビニ弁当の殻で一杯になっている。訊かなくても答えは判っていたが、それでも口にせずにはいられない。
 それに対して、
「大晦日から」
 しれっと答える京が憎らしい。
 庵は思わず京の顔を睨みつける。ならば、あの酔って掛けて寄越した電話は、この部屋からのものだったということか。
「そんなカオすることねえだろー」
 不満気に言って、京は長い腕で庵の首を引き寄せる。
 何をされるのかは判っていたが、庵は敢えてされるに任せた。逃げたいとは思わなかったのだ。
 京の唇が庵のそれを覆う。そして、
「ミレニアムキス」
と、唇を離して嬉しそうに笑い掛けてくる京に、庵はほとほと呆れた、という貌になった。
「馬鹿か、貴様は」
「なんでだよ。今年最初のキスなんだぜ?」
「今年一年中がミレニアムだ!」
 本来ミレニアムは千年紀という意味だが、例外的に、西暦二〇〇〇年という年も指す。だから、京が言った、今年最初のだのなんだのは、まったく意味がないのだ。
「え? あれ、そうなんだっけ⋯⋯?」
 ――ああ、この馬鹿はやっぱり解っていなかったか。
 予想出来ていたこととはいえ、正直頭が痛い。この調子では、ミレニアムエッチだとかミレニアムセックスだとか言って、おそらく京は自分をベッドに押し倒す気だったに違いない。
 顳(こめかみ)を押さえて溜息をつく庵に、けれど京は全くめげる様子はなかった。それどころか、うきうきと浮かれた調子で彼は言う。
「じゃあ、今年は毎日が記念日な訳だ」
「⋯⋯⋯⋯」
 思わず庵は面を上げ、京の顔をまじまじと見つめ返してしまう。
「だろ?」
 毎日が記念日。
 ミレニアムな年の、一日(ワンデイ)。
 京は自分のその思い付きが気に入ったらしく、
「じゃあ何回やっても今年のキスはミレニアムキスってことだよな?」
と、再び口付けを施す。
「これもミレニアムキス」
「京、いいかげんに離⋯⋯」
 皆まで言い終わらぬうちに、また唇を塞がれる。呼吸が苦しくなる程の長い長い口付け。うまく鼻で息が出来ず、酸欠を訴えて京の胸板を拳で強く叩けば、漸く唇が解放される。濡れた庵のそれから離れるとき、京の舌がぺろりと唇を舐めて行った。
「京⋯⋯」
 庵の発するその声が、咎めるようないろを含でいることは判っているのに、京の行為はとまらない。
「おまえと何回できるかな、ミレニアムキス」
「知るか」
 自分を抱き締める男の腕から逃れようと、庵は身を捩るのだが、京の腕力は少しも緩まない。
「京! もう⋯⋯」
 戯れはこれくらいにしておけ、と少し語調を荒くする庵に、けれど京はその先を要求する。
「庵、おまえに触りたい⋯⋯」
 熱い息を庵の耳元に吹きかけながら、まだ厚手のコートに包まれたままの男の身体を、京の手が弄り始めた。
「外、寒かったろ?」
「それとこれとは⋯⋯問題が違うッ⋯⋯」
「ンな理屈っぽいこと言うなよー」
 色気ないんだから、などと勝手なことをほざきつつ、京は庵のコート脱がせてしまい、そのまま腕の中の身体をリビングのソファーへと押し倒す。
「貴様の頭の中にはそれしかないのか」
 京の行為を非難する台詞を吐きながら、そのくせ、それ以上強く拒むことも出来ないのは彼にほだされている証拠だと、庵には自覚があった。嫌いではないのだ、京にこうして求められることは。それを口に出して認めることはまだ出来ない庵だが、胸の裡ではもう否定もしていない。
「ほかにも色々あるぜ? でも、全部おまえに関することだけど」
 臆面もなく言い放つ男に眩暈を覚えつつ、庵はひとつだけ提案する。
「せめてベッドにまで移動するくらいの配慮が欲しいんだがな」
「新年一発目だもんなー、やっぱベッドでゆっくりしたいよなー」
 などと、京の都合の良いように解釈されても、庵はもう怒る気にも訂正する気にもなれなかった。
 ただいまと口にすれば、当たり前のようにおかえりと言って出迎えてくれる人がいる。自分の帰る場所など、ずっと昔から決まっていたのかも知れない。庵はそう思った。それはこの部屋ではなく、無論八神本家でもなく。ただひとつ、それはこの男の⋯⋯。
「やめろ」
 自分を抱き上げようとする京の腕を振り払い、伸し掛かっていたその身体を邪険に押しのけて立ち上がると、庵は自ら寝室へと赴く。その後を、京が喜々として着いて行く。
 寝室に入るなり、脱げかけていたコートを早々と足元に落とし、そのままシャツのボタンを外そうとし始めた庵の手を京の手が押さえた。
「なんだ?」
「俺にさせろよ」
「⋯⋯好きにしろ」
 自分の脱衣は京に任せ、手持ち無沙汰になってしまった庵は、ふと思いついて目の前の京の身体に手を伸ばしてみる。
「庵?」
 常にない庵の行動に、京は少しばかり驚いたような声を上げた。我に返って羞恥するかと思った庵は、しかし戸惑う様子もなく、
「セーターなど着ていなければ脱がせてやれたものを」
 淡々と語る声音とは裏腹に、随分と積極的な内容の言葉だ。正直京は我が耳を疑う。
「庵⋯⋯、おまえ何か変⋯⋯」
「そうか?」
 小首を傾げる庵の仕草に京は微苦笑を誘われた。いつもの庵なら、ここで照れて罵声のひとつも上げる筈なのに。何が原因なのか判らないが、庵の胸の内で何かしらの変化があったものらしい。
「なんだろ? いま俺すっげえ嬉しいんだけど」
 笑みに緩んだ口元で、京はまた庵に口付ける。そして上体を露にした庵を抱き締めて、京は腕中に収めたその身体ごとベッドへと雪崩込んだ。唇を離して京が庵の顔を覗き込めば、京が素肌の上に着込んでいたセーターの裾から庵の手が滑り込み、するりと背中に腕が回る。
「やっぱここにはおまえが居てくんなきゃな」
 京はひどく満ち足りた表情でそんな言葉を口にする。彼は庵が留守の間中、このベッドで寝起きしていた。庵の匂いに包まれていたかったからだ。
 でも、だからこそ夜毎もどかしく、物足りなかった。けれどこうして庵の身体を抱き締めてしまえば、募る飢餓感に苛まれていた昨日までが嘘のように、何もかもが満たされている自分を実感する。
 四六時中一緒にいなければ駄目だとか、そんなふうには思わない。きっと相手が側に居なければ居ないで、自分たちはそれなりにやって行くことが出来る人間だろうと思う。でも、それは飽くまでも『それなりに』だ。だからこそ、自分が自分らしくあるために自分は庵を選んだのだし、庵も自分を選んでくれたのだろう。庵を腕中に収めるたび、京はそれを改めて認識する。庵と離れている間の自分が、どれだけ不完全な存在であったのかを思い知らされながら。
 京は知っている。気付かなければ良かったと、ひとり嘆いていた庵を。そして覚えている。出逢わなければ良かったのかと、自問した過去の己を。でも今は、迷いながらも自分に向かって伸ばされた庵の腕を、この胸の中に抱き取った現実を、後悔などしていない。
 自分たちが互いに相手を求めるということは、呼吸をするくらいに自然な行為なのだから。
 もしかしたら、そのことを庵も自ら認めたのだろうか。
 自分の施す愛撫に対し、何かを確かめたいというように積極的に応える庵の身体を感じて、京はふとそう思った。自分のそれよりも少しばかり体温の低い庵の身体に己の熱を移しながら、いつかそれを言葉にして聞かせて欲しいと願う。
 本来有り得べからざる場所に京の肉体の一部を受け入れて、苦しさからか歓喜からか、噛み殺し切れない声を上げる庵を、眩しいものでも見るように眇めた眼で眺める男は、ひどく満たされた貌をしていた。
 解放を求めて京の身体を抱き寄せ、先を促す庵の望みに応えるために、京は更に激しく庵を攻める。
 ほんの少しでも昨日と違う何かを見つけられたなら、それだけでその日は特別な一日になる。ならば一日一日が新鮮で、毎日が記憶に残るような、そんな刺激的な一年にしたい。そう、ミレニアムな年に相応しく⋯⋯。
 白く焼け付く意識に逆らわず、腕の中に、解放の余韻に震える男の身体を抱いたまま、京は充足の溜息をつき、深く暖かな眠りにその身を委ねた。






 今年西暦二〇〇〇年が、自分たちふたりにとって忘れられないような一年になるといい。
 意識を手放す寸前、庵の脳裏を過ったその願いは、きっと叶うことだろう。ミレニアムという特別な一年を、他の誰とでもなく、京と共に過ごすのだから。



2000.08.11 脱稿/2019.05.18+2020.08.30 微修正 



・初出:『to HEART』2000.08.12 発行
・再録本『Happy Love Love?』2009.05.03 発行に収録
 夏(※発行日参照)になぜ年越しネタ? と思われるかもしれませんが、前半部分だけを載せた状態で2000.01.10にコピー本を頒布、後半部分を書き加えて再版したのが夏コミだった、というオチ。