『真冬の花火・後』 R18


 庵がずっと食事をしていないことを知って、京はひとり台所に立った。庵の方はシャワーを浴びると言って寝室を出ている。
 台所には、あの日自分が開封した花火がそのまま放置されていて、京は一瞬それらに目をとめてから、ひとまずコンビニの袋に戻し、邪魔にならないよう床に降ろした。
 シンクの上に造り付けられている棚を開けてみると、粉末クリームシチューの素が見つかった。冷蔵庫からは冷凍保存されていた鶏肉を発見し、さっそくレンジを使って解凍をはじめる。自然解凍している時間はさすがにない。野菜はジャガイモとニンジン、タマネギと、煮物の王道材料が一通りそろっていて、これで何とか料理の格好だけはつきそうだ。
 調理に時間をかけることができないので、すこしでも火の通りを早くするため、野菜も肉も極力ちいさく切り刻む。消化の良さを考えても、具はなるべく小さく柔らかくしておきたい。
 京は深底鍋にサラダ油を敷き、面倒臭がって肉も野菜も一緒くたに炒め、適当なところで水を注ぐ。
 灰汁すくいに熱中している間に換気中の室内が寒くなってきたので、粉末シチューの素を溶かし切るまで我慢して、京は開け放してあった戸を閉めに回った。
 鍋の方は弱火にかけ、あとはじっくり煮込むだけ。
 京はリビングの暖房をリモコンで調節してから、庵のいるバスルームへと向かう。ところが、風呂場はシンとして水音も聞こえない。
「いおりーっ、生きてるかーっ?」
 湯船に沈没しているのでは、と不安になって声を掛けると、
「⋯⋯生きている」
 鈍くくぐもった返事がかえってきた。
「あんま静かだからさ、寝ちまったのかと思ったぜ」
 しかし、空腹をかかえて下手に長湯をすれば、貧血を起こすことにもなりかねない。
「長湯すんなよ? かえって疲れるから」
「ああ」
 面倒臭そうな返事。それとも、もうすでに疲れはじめているのだろうか。
 京は庵の体調が気になったが、当の庵はまだ風呂から上がる素振りをみせない。
 磨りガラス越しにしばらく中の気配を窺っていた京は、そこで唐突に話しだした。
「俺さ、さっきスッゲ嬉しかった。おまえが傷ついてくれてるって判って」
 誤解を招きかねない言い種だが、それを恐れず京は敢えて言葉にする。
「俺だったからだろ? おまえの手、離したのが俺だったから、だからあんなに傷ついてたんだろ?」
「自惚れるな」
 浴室のタイルに反響した庵の声からは、感情が聞き取りにくい。
「自惚れるよ」
 庵には聞こえないように口の中、小声でつぶやいて、
「なあ、どうして俺のこと呼んでくんねえんだ?」
 べつの質問を言葉にする。
 互いに顔を見せないでいるからこそ言える本音もあるだろう。
「ホントのこと教えてくんねえと、俺、自分の都合のいいように解釈するぜ?」
 風呂場と脱衣場とを仕切るドア越しに、相手の顔を見ない会話が展開しはじめていた。
「呼んでも来なかったら、とか思ってるのか?」
 期待すればした分だけ、裏切られたときのショックも大きいから。
「べつに⋯⋯」
「『べつに』なに?」
「別にそんなふうに思っている訳じゃない」
「じゃあ、なんで?」
「⋯⋯自分が嫌になるからだ」
 庵は言葉を選んでそう答えた。
 失望を京のせいにしてしまうかも知れない、そんな自分に気づきたくない。
「そうやって言葉にしろよ」
 庵の言葉の真意がどこまで理解できたのか、京はそんな言い方をする。
「そうやって、もっと話、しよう。言葉にしてくんなきゃ、俺解んねえよ。俺には、おまえが何考えて⋯⋯何をどう考えて行動してんのか、伝わんねえ」
 さらに訴えかけるように言い募る。
「言葉にしてくんねえとさ」
 いらえを返さない庵を責めることもなく、
「メシ出来てるから、そろそろ上がって来いよ」
 京は穏やかな口調で言い置いて、脱衣場をあとにした。






 パジャマに着替えてリビングに入ってきた庵は、バスタオルで頭を拭きながらソファーに腰を下ろす。
 髪の水気を拭うその手があまりに億劫そうで、
「貸してみ」
 京は庵のとなりに座ると、彼の手からバスタオルを奪いとり、両手を使って豪快に水気を飛ばしはじめる。
 気持ちいいのか単に面倒なのか、されるがままになっている庵は、目を閉じてじっとしていた。
「シチュー作った。喰うか?」
 絡まった髪に手櫛を入れて整えてやりながら問えば、庵がうなずくので、それを確認した京は、出来たばかりで湯気をあげる熱々のシチューを皿に注(つ)いでリビングへと運ぶ。
「喰えるだけでいいからな」
 残してもいい、と無理に食べないよう釘を刺して庵の前にスープ皿を置いた。
 庵はスプーンで一口すすり、
「⋯⋯⋯⋯⋯」
 無言。
 顔を上げた庵が奇妙な具合にその貌を歪めるので、京は不安になる。
「もしかして、マズかった?」
「いや⋯⋯」
 そういう意味での顰め面ではなかった。
「味が⋯⋯よく判らん」
 どうやら味覚が麻痺しているらしいのだ。
 首を傾げながらも、庵は二口三口とシチューをすくう。
 京は庵の正面にすわり、黙ってその様子を見守った。
 ただでさえ長い前髪が、湿って落ちているせいで顔のほとんどを覆い隠してしまっていて、うつむくと更にその表情が見えなくなる。
 でも京は、その貌が憔悴に彩られていたことをもう知っている。逢わなかった数日の間に、庵がどれだけ自分で自分を追い詰めていたのか、もう判っている。そして、捨てないで置いてあった花火が何を意味していたのかも、なんとなく理解できたような気がしていた。
 ひとが言うように庵が冷血漢で、あの花火を簡単に捨てられる人間だったら、彼はあんなふうにベッドの上でひとり転がっていたりはしなかっただろう。
 使えない花火を捨てることを善しとさせず、痛む躰を抱えさせたもの、それは未練だ。そしてもうひとつ、自らに向けたのだろう憐情。きっと庵は自分を嘲笑しながら、おのれの記憶と感情とを切り刻もうとしていたのだ。
 ひとりで立ち上がるために。
 カチンと澄んだ音がして、京が意識を現実にもどすと、庵がスプーンを置いたところだった。彼はごちそうさま、と声には出さず手を合わせている。
 スープ皿は空になっていた。
「まだあるけど喰う?」
 庵は首を振る。
「じゃ、後片付け俺がやるから。さきに休んでろよ」
 京の勧めに逆らわず、庵はそのまま席を立った。






「庵、もう寝ちまったか?」
 相変わらず戸口に背をむけて、ベッドの上に転がっている庵の後ろ姿に声を掛けながら、洗い物を済ませた京は寝室へと入っていく。
「おまえ、いっつもこうやって一人で転がってたんだな」
 庵の躰に添うように身を寄せて横になり、京は腕を伸ばして彼を背後から抱き締める。背中を護られているこの態勢が、彼をいちばん安心させることを京は知っていた。
「逢いたくなっても電話もせずに、こうやってさ」
 長い間湯に温められていた躰が、すこしずつ熱を失って普段の低体温にもどりはじめているのが、触れ合った庵の背中から京の胸へと伝わってくる。自分の熱を庵に分け与えるように、京はますます庵に躰を密着させた。
「どうしてそんなふうに我慢するんだよ」
 たった一人で。ひとりだけで。
「待ってばっかいないで、俺のこと呼べよ」
 身じろぎでさえ反応を返さない庵に、しかし京は根気よく語りかけつづける。
「死にそうな声で呼んだら、俺、絶対行くぜ?」
「⋯⋯できるか」
 ――そんな情けないこと。
「欲しいもの欲しいって口にもできないで、苦しんでる方が、よっぽど情けないんじゃねえの」
 京の手のひらは服の上から庵の臍部に触れ、熱を伝えるようにじっとしている。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「怒ったか?」
 庵の首筋に顔をうずめると、清冽な水の匂いが鼻孔を抜けてきた。
「怒っていいぜ。⋯⋯怒れよ、庵。俺、おまえにヒドイこと言ってんだぜ?」
 それでも庵は黙ったままだ。
 力の入った両肩を宥めるように、京は庵の耳朶を甘咬みし、うなじに唇で触れ、熱く濡れた舌を這わせる。庵の下腹部に触れていた手は、いつのまにか胸元にまで這い上がって、厚い生地の上からでもそれと判る場所を意志をもって撫ではじめていた。
「な、俺のこと、怒ってもくれないワケ?」
 京のそれは詰問する口調ではない。庵が容認してくれていると知った上での甘え。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
 動けないのか動かないのか、庵は身を竦めている。しかし、先に進もうと、京の手が上着の裾をはらって直接肌に触れようとしたところで、
「よせ」
 庵の手がその手を押しとどめた。
「なんで」
 納得のいかない京は口を尖らせる。
「眠い」
 そんな理由にもならない理由で、庵は拒否したい旨を伝えようとしていた。しかし京は敢えて解らないふりをする。
「京ッ」
 いまは引くべき時じゃない。
 そう思うから。
 弱味に付け込んでいるのだと自覚はあった。でも、それは庵自身が望んでいることだ。付け込まれたがっているのは庵の方。
 体重をかけて上から押さえこんでしまえば、精神的にのみならず身体的にも弱っている今の庵に、反撃などできる筈もなく。
「卑怯だぞ、京っ」
 叫ぶ庵に、しかし京は自由を奪う手をとめない。
「卑怯なのはおまえだよ!」
 嫌がるふりをして、本当は待っているくせに。口にしないだけで、心の中では⋯⋯。
「なに⋯⋯言、て⋯⋯ッ」
 暴れる両手首を左手で掴み、捻り上げることで拘束し、 
「俺が付け込まなきゃ⋯⋯本音も言えないくせに」
「なん、だ、と⋯⋯!?」
 なおも足掻く庵の躰を、うつ伏せにシーツの上へ背中から押さえつけ、京の右手は乱暴な仕種で性急にその下肢を暴く。
「⋯⋯っ」
 庵は呑むように息を詰めた。
 外気に晒された庵は、京の手の中ですでに微かな反応を見せていた。指先に強弱をつけ、少し刺激しただけで、呼吸(いき)も簡単に乱れる。
「ここ⋯⋯こんなにしといて、まだ否定すんのかよ?」
 自分の状態を言葉にされて、庵は唇をきつく噛む。
 庵を貶めるような自分の言葉に、恥辱をこらえるような表情をした彼の横顔を見、そこに被虐の匂いを嗅ぎ取って、京は思わず自身に嘆息した。
 ――ちがう。こんなふうに追い詰めたい訳じゃない。
「いおり」
 庵の気を鎮めるように、きつく閉じられた目蓋に京は何度も口吻けた。それだけでは物足りなくて、唇にも触れる。
「素直になれよ⋯⋯」
 閉ざされた歯列を無理にこじ開けるようなことはせず、舌先で上唇と下唇の狭間をなぞりながら、京は庵のようすを窺う。
「たまに、で、いいから、さ」
 たまに、でいい。それが庵にとって、もっとも肝心なときであれば。
「俺は⋯⋯」
 いまはまだ。
 多くは望まないから。
 そのとき、庵の腕が京の頸に巻きつけられた。驚いた京は顔を上げようとするが許されず、更にきつく強く抱き寄せられる。そして、
「続けろ⋯⋯」
 庵の言葉は京の口腔に直接注がれた。






 額や目蓋、鼻筋へと、啄むようなキスを送りながら、京は庵の夜着を脱がせていく。そして自分の衣服も取り去ってから庵の上に覆いかぶさった。
 庵の下肢へ改めて腕を伸ばし、京は撫でるだけの緩やかな手の動きをくりかえす。それが自分の手の中で次第に熱く張り詰めていくのを感じながら、唇を庵の首筋に滑らせ、鎖骨に歯を立て、胸元へ舌を這わせた。 
 声こそ漏らさないが、庵の息は上がりはじめている。
 不意に、京の癖のない黒髪に庵の指が差し入れられ、
「庵?」
 顔を上げると、苦痛をこらえるような表情の庵と視線が絡んだ。庵は紅味がかった瞳を熱っぽく潤ませて、なにかを訴えるように京を見上げている。吐息に解けた唇のわずかな隙間から、きれいに並んだ歯列が覗いて見えた。その唇に誘われるように口吻けて、京は庵に絡めていた指をばらばらに動かし、急くように熱を高めていく。追い上げられる庵は京の髪をまさぐる指に力をこめ、唇をはずそうと首を振る。
「⋯⋯っ」
 皮膚のうすい先端に親指の腹をつよく押し付けると、零れだした体液が京の手を濡らした。
「楽にしてろよ⋯⋯」
 京は庵の体液を集めた指先を下肢の間に滑らせる。
 その場所が、粘液に濡れて抵抗の軽減された指一本を呑み込むのは容易い。際立った拒絶反応もみせず、庵は京の指をゆっくりと根元まで呑み込んだ。
 京はすぐさま指を蠢めかせ、その刺激に下腹部を波打たせる庵の表情の変化を愉しみはじめる。指に纏わりつく内襞の締め上げてくるような感触が、京をますます興奮させた。
 詰めていた息を吐き出す瞬間を狙って躰内の指を動かすと、庵の口から噛み殺しそこねた嬌声が上がる。その声と、苦痛と快楽に引き裂かれたような庵の表情とが、京の欲望をいっそう煽りたてる。
 ややあって京は指を抜き取り、庵を一旦うつ伏せにさせてから、その細い腰を抱え上げた。肘で躰を支えさせ、肩甲骨の浮き上がった筋肉質な背中に咬むようなキスをする。引き攣れたような内腿の筋を撫で上げ、さらに胸に遊ばせた手を滑らせて、硬く勃ち上がったそれを探し当てる。指の間にきつく挟み込んで擦り合わせると、それだけで庵の躰は前のめりに崩れた。
 触れ合うたがいの肌は吹き出した汗に濡れ、皮膚と皮膚との境目の感覚を曖昧にし、そこからひとつに溶け混じってしまえそうだ。その一体感をもっと深めたくて、京は庵との更なる繋がりを求めた。
 京は庵の背に伏せていた上体を起こし、両手で双丘をぐっと押し開く。
 ビクリと全身を震わせて、庵が硬直した。
 シーツを掴み寄せたこぶしの上に額を押し付けて京の楔を待つ庵の、指に慣らされた狭い器官の入口は京の目の前でかすかに息衝いている。京はその場所へ顔を寄せた。
 その気配を敏感に察知し、つぎの行動を予測して、
「よせッ」
 鋭く叫んだ庵の制止をきかず、京はそこを舌で撫でた。
「京⋯⋯!!」
 それが、庵がもっとも嫌う愛撫だと知った上での行為。
 京から逃れるように、前へ這い上がった庵が闇雲に伸ばした右手は、くうを掻き壁板へと泳ぎついた。
「やめろ⋯⋯っ」
 きつく閉じた庵の眦にうっすらと泪が滲む。それでも舌の戯れはやまない。それどころか、ますます執拗に内部にまで侵入してくる。更にはずっと放っておかれた庵自身にも残酷な愛撫の手がくわえられ、庵はおおきく胸を喘がせた。
 しばらくして京の舌からやっと解放され、ホッとしたのも束の間、
「――――――!」
 瞬間、庵は目蓋の裏が赤く血の色に染まるのを見た。
 京の猛った雄が、庵の下肢を引き裂くようにして躰内に突き入れられていた。
「⋯⋯っ、くっ」
 何度くりかえされても慣れない衝撃と痛みとに、庵は咽喉で苦鳴を押し潰し、肩でおおきく喘ぐ。
「はっ⋯⋯、は⋯⋯、ァ⋯⋯」
「ん⋯⋯っ」
 呼気を荒らげ咽奥でひくく呻きながら、京は思うさま庵に劣情をぶつけ始めた。
 繋がったところから広がる焼け付くような感覚が癒える間もおかず、京に抽挿を始められ、摩擦の刺激に切り刻まれる庵の意識は、ばらばらになってシャッフルされていく。
 不意に、
「京⋯⋯ッ、おまえは⋯⋯」
 快楽を享受して上擦った切れ切れの庵の声が、京の鼓膜を弱く打った。
「おまえは⋯⋯そのままで、いろ」
 ――我儘で、強引で、そして傲慢な⋯⋯。
 激しく揺さぶりつづける京の腰の動きに翻弄され、庵は壁についた腕の先できつく拳を握る。
 臓腑を突き上げられるような感覚と、それを引き擦り出そうとしているような感覚と、交互に襲い来るふたつの逆しまな感覚が、いつしか庵には区別できなくなって、そうなると京の動きは彼の躰に、痛覚を凌駕した、ただ甘く痺れる余韻だけを残しはじめる。
 互いの限界がちかい。
「おまえには⋯⋯っ」
 混濁しはじめた意識の領域で、なおも何かが庵の口を衝き動かす。
「それが、似合い、だ⋯⋯っ、んっ」
 言い終わると同時に頸部を強引にねじられ、庵は口腔ふかく口吻けられる。呼吸を奪われ、京の舌に応える余裕もなく、彼は白く塗りつぶされていく目の前の情景と共に、焼き切れる意識をも手放した。
 その瞬間、京もまた胴震いしながら庵の中へ熱のすべてを吐き出していた。
「ふぅ⋯⋯」
 京はふかく充足の吐息をついて庵から躰を離すと、意識を飛ばして尚かすかに震えている男の背に、柔らかく唇を押し当てた。






 庵が意識を飛ばしていたのは、わずかな時間だったらしい。目を開けると、そこには、スタンドのオレンジ色の淡光に照らされた寝室の天井があった。
「キツかった?」
 心配そうに上から覗き込んできた京に、
「べつに⋯⋯」
 安心させるためではなく強がりでもなく事実を答え、彼は躰の向きを変えようと上体を起こしたところで、ふいに襲われた疼痛に顔を顰める。
「やっぱ、キツかったんじゃん」
 腰を庇おうとしたのか自分に向けて伸ばされた京の腕をさえぎり、
「平気だ」
 自力で姿勢をかえて、庵は枕を抱くようにしてシーツに伏せ、ひとつ大きく息をついた。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
 立てかけた枕に上半身を預けて座っている京はすこし不満そうな表情で、布団に隠れた庵の背を見下ろしている。
「なんだ?」
 京の物言いたげな視線に気づき、庵は枕にうずめていた顔の向きをわずかに変えた。
「なんで責めてくんねえんだよ。俺のせいなのに」
「違うだろう」
 京を受け容れたのは自分自身の意志なのである。ならばこの肉体の痛みも、京ひとりのせいである筈がない。
 しかし京は、
「なあ、俺のこと責めて」
 まるで懇願するような口調で言いすがってくる。
「俺が約束忘れてたら、おまえが悪いって言えよ。俺を責めろよ」
 自分の腰の痛みに託(かこ)つけて、京はもっと違うことを言おうとしているのだと、庵はようやく気づいた。
「俺のこと責めていいから⋯⋯そしたら謝るから⋯⋯だから⋯⋯、それから、ちゃんと許せ」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「おまえが責めてくんなきゃ、俺、おまえに謝れねんだぜ?」
 いきなり責めろと言われても、庵は正直困惑するしかない。
 しかし沈黙してしまう庵を置き去りに、京はどんどん話を展開させていく。
「おまえさ、俺のこと誤解してる」
「誤解?」
「そう」
 京は大きくうなずいた。
「おまえ、俺を縛りたくないんだろ? 自分の都合で、俺の予定狂わせちまうんじゃないかって、勝手に先回りして考えてるだろ」
 庵が気にしていることは全部杞憂なのだと、京は彼に言いたかった。
「⋯⋯そんなことはない」
 否定する庵に首を振ってみせ、
「あるよ。ホントにそんなことないってんなら、もっと俺に注文つけられるハズだぜ?」
 そう言われて庵はまたも言葉に詰まる。
「ホラ見ろ。やっぱそうなんじゃん」
 図星だったんだろう、と京は顰めっ面で庵を見下ろす。庵は形成が不利になって視線をそらした。
「おまえと約束しただけで⋯⋯そんなんで俺が身動きとれなくなっちまうワケねえだろ」
「そんなことは⋯⋯解っている」
 もう何を言っても庵の言葉に説得力はなく、京には言い訳にしか聞こえない。
「だったら、言え」
 強気の口調で京は言った。
「こっちがダメなときはちゃんと言う。優先したいことがあるって、ちゃんと言う。そんで、おまえが納得できる理由でダメになったときだけは断る。俺はおまえが心配してるみたいに、おまえに縛られてるなんて思わねえ。だから」
 だから。
「約束しろよ。俺と、約束、しよう?」
 庵と約束がしたい。果たすための約束をしたい。
「約束して、たまには俺のことも束縛しろよ」
 庵は溜息をついた。そうは言われても、京の望みどおりに出来る自信はない。20年近い年月をかけて形成されてしまった人格は、そう簡単に作り替えられる物でもないだろう。
「なんだよ。出来ないってのかよ」
 庵のついた溜息に、否定的な想像をしたらしい京が膨れっ面で睨むので、
「解った。⋯⋯一応努力はしてやる」
と、庵は精一杯の譲歩案を提示する。とたん、ガバッと布団の上から京が抱き着いてきた。
「京!?」
「へへへ⋯⋯スッゲ嬉しいv」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
 庵はほとほと呆れて言葉もない。まったくこの男の単純さ加減はいつまで経っても計れない。
 しばらくそうやって庵に抱き着いていた京は、
「俺、さっそく約束したいことがあんだけどな」
 そう言ってから彼の躰を離した。
「なんだ」
 庵が顔を上げてみると、京は何を企んでいるのか、イタズラな表情で笑っている。
「あした花火やろう」
「明日⋯⋯? 花火⋯⋯?」
 突拍子もない申し出に当惑する庵に、
「ちょっと待ってろよ」
 言い置いて、京は寝室を出て行き、すぐに戻って来たときには自分のショルダーバッグを手にしていた。そして、
「ホラ」
 そう言って京がバッグの中から取り出して見せたのは、コンビニで買ったものと同じ、2つの花火セット。
「どうしたんだ、こんな時季に⋯⋯」
 さすがに冬場に花火を取り扱っているコンビニがあろう筈もなく、目を丸くする庵に、京は得意げに答える。
「問屋さんにあった」
「問屋⋯⋯」
 どうしても夏に買ったのと同じものを手に入れたくて、京はコンビニで仕入れ先を教えてもらい、わざわざ卸問屋に問い合わせて、その花火を調達したのだ。
「湿気ないように管理してあるから大丈夫だって言ってたぜ」
 問屋で聞いた言葉を伝えて庵を安心させながら布団の中へもぐりこむと、京は腰を抱くようにして彼にくっついた。
「真冬の花火ってのも、なかなか乙なんじゃないかと思うんだけど、どうよ?」
 額が触れ合いそうなほどの至近距離で、京が子供のような笑顔を見せる。
「⋯⋯悪くない」
 こたえる庵の顔には、何に対する意地があったというのか、根負けしたときの諦めにも似た、苦笑にちかい表情が浮かんでいた。
「よし、そんじゃ決まり、な」
 約束約束⋯⋯とつぶやきながら、寝付きのいい京はあっと言う間に寝息をたてはじめる。
 京のその規則正しいふかい寝息に誘われるように、庵もすぐに目を閉じた。自分の胸郭いっぱいに満ちていた冷たく重い塊が、いつのまにか跡形もなく溶けてしまっていることに、このとき彼はまだ気づいていない。



 そしてその夜、庵は現実よりも一足はやく、冬の夜空に向かって京とふたりで花火を打ち上げている自分の夢をみた。



2000.01.26 脱稿/2018.11.02 微修正 



・初出:『真冬の花火』2000.02.06 発行
・再録本『Happy Love Love?』2009.05.03 発行に収録