オフシーズンに入って半ばが過ぎた。年末から年始にかけての一週間を帰省先の実家で過ごした赤崎は、クラブハウス内の施設を使って自主トレをするため、現在は寮に戻って来ている。
その日、自主トレを終えた赤崎は寮に外泊届けを出し、夕刻から堀田のマンションで過ごしていた。部屋主の堀田本人は現在不在だが、それに気兼ねするような間柄では既にない。
録画してある海外サッカーの試合やダイジェスト集を再生して時間をつぶし、頃合いをみて夕食を摂ることにする。
堀田が作り置きしている総菜を冷蔵庫の中から適当にみつくろい、電子レンジで温め直してリビングのガラステーブルに並べた。誰も見聞きしていないけれど、箸をてのひらに挟み、声を出さず、いただきます、と口を動かした。ひとりきりの食事は味気ないが、それでも堀田の手料理だと思えば自然と食も進んだ。
食器をシンクに下げて水に浸け、食後に何か飲もうと冷蔵庫のドアを開けると、赤崎が比較的抵抗なく飲むことのできる銘柄の、白ワインのボトルが冷やしてあるのが目に入った。
ビールをただ苦いばかりで美味いと感じられたことのない赤崎には、酒を飲みたがる人の心理がさっぱりわからなかったのだが、堀田にあれこれ気遣われて試しているうちに、最近になってようやく、甘口のワインだけは少し美味しいと思えるようになってきた。
『美味いか不味いかはおいといて、とりあえずアルコール自体に耐性が出来たら、そのうち他の酒も飲めるようになるさ。酒の席は付き合えるに越したことないからな』
そう言ってひどく優しい目をした堀田にくしゃりと頭を撫でられたのはつい数時間前、このマンションから同級生との飲み会へ出掛けようとしていた部屋主を見送ったときの話だ。かく言う堀田は大卒で、飲み会における消費酒量の半端なさで学内屈指の体育研究室に席を置いていた。おまけに堀田は酔ってもほとんど顔に出ないので、二十歳になって以降、それはそれは容赦なく飲まされたのだそうだ。おかげですっかり鍛えられた、とのことだが、元からそれなりに素質があったのだろうとも思う。
高卒で、在学中からサテライトに属してプレーしていた赤崎にはそういった酒の席を経験する機会は当然なく、成人後初めてアルコールに接したのはETUのトップチームに上がってからだ。
そんなことをつらつら思い出していた赤崎は、リビングに置いていた携帯が盛大に奏でるメロディに、はっとして顔を上げた。この着メロは堀田からの電話にのみ設定してある唯一のものだ。冷蔵庫のドアを閉め大股でリビングへ戻ると、テーブルの上で振動している携帯を掴み、通話ボタンを押した。
『赤崎? いま大丈夫か?』
いつどんなときでも堀田からの電話は気遣いから始まる。それは酒が入っていてでさえ変わらないらしい。
「お疲れ様っス。大丈夫っスよ」
『悪いんだけど、迎えに来てくれないか? ちょっとウチまでひとりじゃ無理そうなんだ⋯⋯』
(珍しい。堀田さんが足元覚束なくなるほど飲むなんて。)
今夜集まるメンバーは、同級生は同級生でも、もっとも仲が良かった高校時代のサッカー部のそれだと聞いている。堀田の出身は東京ではないが、彼同様に部員の中の幾人かは就職して関東圏内で暮らしているらしい。
気の置けない仲間たちと久しぶりに顔を合わせ、つい羽目を外してしまった、といったところだろうか。
『店出て電車乗って、駅までは辿り着いたんだけどさ』
燃料切れっぽくて、と口にする言葉が普段よりも随分スローテンポだ。おそらく堀田自身に己の呂律があやしくなっているという自覚があるのだろう。それでも自宅の最寄り駅までは自力で戻って来ているあたりが、ひとに迷惑を掛けること、頼ることを極力避けようとする堀田らしかった。
その堀田が素直に甘えてくれているのだと思えば悪い気はしない。
赤崎は堀田の車を借りる了承を得て慌ただしく外出の支度に取りかかった。高校卒業と同時に取得して免許は持っているのだが、寮住まいということもあり、自分の車はまだ持っていないのだ。
ハンガーに掛けておいた上着を手に取り、携帯電話と財布とをジーンズのポケットに捩じ込んで、堀田の愛車のスペアキーを持つ。この部屋の合鍵がついたキーホルダーがキーチェーンに繋がっていることを視認し、赤崎はマンションの地下駐車場へと降りた。
堀田のマンションから最寄りの地下鉄の駅までは、車で五分強の距離がある。歩道に面した地下鉄の出入り口付近にはロータリーもなく路駐の車が目立っていた。どこに停めようかと視線を走らせた赤崎の視界に、車道側を向いてガードレールに腰掛けている堀田の姿が飛び込んで来る。堀田は濃茶のコートの襟を立て、その上からゆるく巻き付けたベージュ基調のタータンチェック柄のマフラーに鼻先を埋めるようにして肩を竦めていた。
クラクションを鳴らす前に気付いたらしく、顔を上げた堀田がふらりとガードレールから離れ、車の方へと近付いて来る。
助手席側に回った堀田は、身をのりだして腕を伸ばした赤崎がロックを解除するのを待ち、
「悪い。ありがとな」
ドアを開け、いつになく緩慢な動作でのろのろと車内へと滑り込んだ。
堀田がシートベルトを装着するのを見届けて、赤崎は慎重に車を発進させた。助手席に誰かを乗せて運転するのはいつも少し緊張する。特に相手が免許持ちで普段自ら運転をする人間なら尚更だ。
ブレーキを踏むタイミングや発車のテンポが己のそれと違うというだけで、居心地の悪そうな素振りを見せられるともう覿面で、途端に赤崎は緊張で身が竦んでしまう。恥ずかしさとプライドが傷つけられたような錯覚とで、どうにも居たたまれなくなってしまうのだ。これまで堀田にそういった態度を取られたことはないが、それでもやはり気にはなる。
もと来た道へ戻るために、二十メートル程先にあるコンビニの駐車場で車の向きを変えて車道に出直し、しばらく走ったところで、
「どうでした? 飲み会。何人くらい来てたんスか」
助手席でくたりと脱力している堀田に話を振ってみる。
「俺入れて七⋯⋯いや、八人か。途中で抜けたヤツもいたんだけどな」
「へえ、結構来てたんスね。まめに会ったりしてるんスか」
「や、どうかな。連絡はけっこう来てる気がするけど、俺は都合がつかないことも多いし⋯⋯」
週末に試合がある関係で、サッカー選手である堀田や赤崎たちと世間一般の企業に勤める会社員とでは、休みが合わないことが確かに多い。
「今日のはさ、地元にいるヤツが出張でこっちに来たっていうんで、新年会兼ねてそいつに会うのがメインだったんだ」
「そうスか」
「そいつ、高校の頃からそうだったんだけど、社交性のあるヤツでさ。だから地元に残ってる連中の近況とかにもすごい詳しくて」
懐かしいヤツらの話がたくさん聞けた、とわずかに弾んだ声で言い、ふうっ、とひとつ大きく息をついて、堀田が頬を緩める様子が赤崎の視界の端に映り込む。
「そういや部の顧問だった先生が来春で定年退職だって言ってたなー。もうそんな歳なんだなって、ちょっと驚いた」
時間が経つのは早いよな、そんなことを口にしながら堀田の眦にはふわふわと隠しきれない満足感が滲んでいた。
「へえ⋯⋯」
堀田と同級生の彼らとの間に、赤崎と堀田との間にはまだ築き上げられていない、時間という名の絆を見せつけられたようで、なんだか妬けてしまう。
それっきり赤崎は前を向き、フロントガラスを睨みつけるようにしてマンションまでの道程を無言でやり過ごした。
マンションに帰り着いた後、風呂に入るという堀田に、
「シャワーだけにしといてくださいね」
赤崎は念のため釘をさす。
「わかってるよ」
アルコールが入った状態で湯に浸かっては駄目だ、と赤崎に教えてくれたのは堀田本人だ。
血行が良くなるのと同時にアルコールの回りまで早くなってしまうから、余計に具合を悪くし兼ねないのだ、と。
だから本来は赤崎が忠告するまでもないのだけれど、それを指摘し返されるようなこともなく、堀田は素直に頷いてみせてバスルームへと消えた。
風呂から上がった堀田が寒い思いをしないようにリビングのエアコンを入れ、この部屋に常備してある自分用のルームウェアに着替え、手持ち無沙汰になった赤崎はテレビをつけた。適当にチャンネルを変え、スポーツニュースに合わせてとめる。
やがて、十分経ったか経たないかのうちに、ほこほこと湯気をまとった堀田が、寝間着がわりのトレーナーとスウェットという格好でリビングに戻って来た。
堀田はソファーに腰を下ろすと、ツートンカラーの髪を億劫そうにタオルで掻き混ぜはじめる。整髪料の落ちた前髪が、ふわりと額を覆っている姿がレアだ。
練習後や試合後、シャワーを使った堀田の姿をロッカールームで目にしたことがないわけではないけれど、移動や帰宅の際にはまたしっかりとセットし直してしまうので、気を抜いたラフな様子をじっくり堪能できるのは、こうして自宅で寛いでいるときくらいなのだ。
しばらくは並んでソファーに座り、スポーツニュースの内容に沿った他愛ない会話を交わしていたのが、不自然に会話が途切れたな、と赤崎が堀田を見やれば目蓋がおりていて、不意に意識が落ちるらしくカクンと首が揺れていたりする。これはそうとう眠いのだろう。
「もう寝ます? 堀田さんすげえ眠そう」
赤崎が気を遣って寝室へ行こうと促すのに、けれど当の堀田はぐずぐずとソファーから動こうとしない。
「せっかくおまえが来てんのに」
このまま寝てしまうのは勿体ない、と拗ねた声で言う。
こんなふうに堀田が駄々をこねる――と言うにはささやか過ぎる抵抗だが――のは本当に珍しい。
(なんか堀田さんが子供みてぇ⋯⋯。)
新鮮でかわいくもあるが、このままでは湯冷めもしてしまいそうだし、そもそも、
「明日は一日中いっしょに居られんでしょ?」
と、宥めすかして手を引き、どうにか立ち上がらせた。
リビングのエアコンを切り、電気を消して寝室に入る。スプリングの適度に利いたセミダブルのベッドは、ふたりが恋人として付き合うようになってから堀田が新しく買い換えたものだ。
このベッドで一緒に眠ることも今はもう珍しくなく、それくらいには深い付き合いになっている。
赤崎がなかば押し込むようにして部屋主を布団の中へ入れると、眠気のピークだったらしく、堀田は気を失うようにして一瞬のうちに眠りに落ちてしまった。
おやすみを言う隙もないほどの早技に、思わず赤崎は笑ってしまう。返事がかえらないことはわかっていたが、
「おやすみなさい」
そう声を掛け、ボディソープの清潔そうな匂いがする肌を抱き寄せて、赤崎もまた眠りの淵へとダイブした。
夜中にふと目が覚めた。
(あれ?)
腕の中に抱き込んで眠った筈の堀田の姿がない。
寝室のドアが少しだけ開いていて、リビングの更に奥から明かりがわずかに漏れ届いている。
起き出した赤崎が寝室を出ると、リビングの奥にあるキッチンにスリッパを履いて立った堀田が、グラスに注いだミネラルウォーターをごくごくと飲み干しているところだった。
赤崎が居ることに気付いた堀田の、
「悪い、起こしたか?」
その言葉にはいいえと首を振ったが、腕に抱えたぬくもりと確かな質量とを失ったせいで目が覚めたのだとしたら、やはりそれは堀田に起こされたということになるのだろうか。
「おまえも飲む?」
「や、俺はいいっス」
何も考えず素足で出て来てしまったために、床板からじかに伝わる冷たさが足の裏に染みて痛い。はやくカーペットがある場所まで戻りたい、そう思う。
けれどそれ以上に――。
「堀田さん」
ペットボトルを冷蔵庫に戻し、すすいだグラスを水切り棚の上に伏せた堀田の、まだ濡れている唇に親指の腹で触れ、
「赤崎?」
いぶかしむ声を無視して、次にそこに触れたのは自身の唇で、だった。
ちゅ、とやさしいリップ音をたてて唇を離す。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
無言で見つめ合った互いの眼の中に、欲した熱が揺れていることを確かめて、赤崎は堀田の手を取り寝室へと導いた。
ベッドの上で向き合い、赤崎が自分の服を脱ぎ捨てて、目の前のトレーナーの裾から手を差し入れて背を撫で上げれば、堀田は窮屈がって身をよじる。手を貸して脱がせてしまうと、堀田の方から抱きついて来た。
「あったかいな」
密着する素肌の、さらりと乾いた感覚が心地よく、その先を忘れて、堀田の唇からふわりと充足の吐息が漏れる。
けれど、その膚がやがて汗に濡れて溶け合い、互いの欲を煽ることをふたりはもう知っているから。
背に回した片方の腕で堀田の腰を抱き寄せ、もう一方の手でするりと背筋をなぞり上げると、喉奥で息を噛んだ身体がふるりと震えた。拘束を緩め、胸を離して首筋に軽く歯を当てるだけで、行為の先を期待した堀田の身体が温度を上げるのがわかる。胸に唇を落とし、紅く色づくその先を舌でなぶれば、頭上からは熱く湿った吐息が降って来た。
「堀田さん」
顔を上げて声を掛けると、許しを与えるように堀田の手がやさしく赤崎の襟足を撫でた。
いまでこそ戸惑いのない手順で身を繋ぐことが出来るようになっているふたりだが、最初の頃はほんとうに大変だったのだ。
お互い男と寝るのははじめてで、とうぜん最初からうまくはできなくて、最後までは想いを遂げられず、手や口を使って処理するだけの夜が長く続いた。もどかしさとやりきれなさに次第に苛立ちが募って、関係そのものが険悪になりかけた時期もある。
そんな危機的状況を乗り越えることが出来たのは、ひとえに堀田の並々ならぬ決意と努力があったからだ。
ある夜、
『たぶん大丈夫だと思うから⋯⋯』
堀田は震える声でそう言いながら赤崎の手をとり、自ら後腔へと導いた。堀田に招き挿れられた赤崎の指が感じとったのは、それまでの、熱くも頑なで拒むような感覚ではなく――、
『!』
そこは既にローションで充分に濡れていて、柔らかく赤崎の指を包み込んできた。
『堀田、さん⋯⋯?』
驚いて顔を上げた赤崎から、真っ赤に染まった頬を背けつつ、何日も前からこの夜に備えて自ら慣らしていたこと、つい先程シャワーを浴びた際に洗浄したことを堀田は告白した。
それを聞いた赤崎の頭は沸騰し、理性が吹き飛びそうになった。
それまでにも指を挿れてみたことは何度かあったのだ。けれど慣らし拓くところまでは、赤崎には怖くてとても出来なかった。自分に経験がないゆえに、加減がわからなくて傷つけてしまいそうで。
そんな赤崎の臆病を、無理もないと飲み込み消化して、ならば自分でどうにかしなければと堀田は腹を括ったのだ。カッコつけで失敗を隠したがる、そんな赤崎の性格を慮り、彼のプライドを傷つけることなく事を進めるには自分がどうにかするしかないのだ、と。
そんな堀田の決心と努力の末にようやく本当の意味でひとつになれたとき、焦がれ続けた肉襞の最奥まで迎え入れられ、熱くきつく包みこまれるその感覚に、感極まった赤崎の両目からは気付けば涙があふれ出していた。
堀田にやさしく先を促されても動くことができず、ついには子供のように激しく泣きじゃくってしまったあのときの自分を思い出すと、みっともないやら恥ずかしいやら、裸足で逃げ出したくなるけれど、
『俺も嬉しいよ』
そう言って、身の裡に赤崎を受け入れて全身を噴き出す汗に濡らし、ときおり苦しそうな吐息をこぼしながら、それでもしあわせそうに微笑む堀田が、赤崎の涙が止まるまで頭を撫で続けてくれたことは一生忘れないと思う。
そうして堀田の内奥に包み込まれる心地よさを知ってしまってからは、そこを拓くことも赤崎の役目になっていて、器用に片手だけで蓋を開けたローションをてのひらに受けて温めると、キスと前への愛撫で堀田の気を逸らしながら、ぬめる指を挿し入れた。
「!」
堀田は息を飲み一瞬身を硬くして、けれどすぐに細く息を吐き出し力を抜こうとしてくれる。そんな反応と態度とに、これも年上の余裕なのかと、おもしろくない気持ちで意固地になったこともあった。でも、いまはただ、堀田もまた自分を欲してくれているだけなのだと実感できて嬉しいばかりだ。
「堀田さん⋯⋯」
「んっ」
いまは、はじめの頃に比べれば余裕も生まれ、ふたりで悦いところを探り合うような触れ方も出来る。
「あっ、そこ」
「ここ?」
「ん、そこ⋯⋯」
「いい?」
「ん」
それでもまだまだ知らない弱点はたくさんあって、肌を合わせるたび堀田の新しい一面をあばきたくて、赤崎はいつも夢中になる。
どこまで要求していいのかとか、こんなことをしたら引かれてしまうのではないかとか、ことあるごとに願望も不安も鎌首をもたげるし、やり過ぎてしまって嫌われたのではと落ち込むこともしょっちゅうだけれど。
ときおり内側の最も過敏な部分を掠めるようにして刺激を与え堀田の理性を攫いながら、時間を掛けて二本三本となかをあやす指を増やし、気をそらさせるためにこめかみや額、鼻先にキスを落とす。濡れた瞳を覗き込んで様子を窺い、
「堀田さん」
飼い主にお伺いをたてる犬のように首を傾げてみせると、
「いいよ⋯⋯」
やわらかくほどけた笑みを浮かべた堀田が、迷いのない両腕で赤崎を抱き寄せてくれる。
指を抜かれてひくつく後腔に、ゴムを被せた自身を圧しあて、堀田の呼吸をはかりながら、ぐっと腰を突き挿れる。一息に根元までおさめ、その衝撃にのけぞる堀田の荒い息が収まるのを、動き出したい衝動をこらえながら待つ。
けれど焦らないようにと戒めているつもりなのに、ついがっついて性急な律動を与えてしまう。
「うっ、んんっ!」
「⋯⋯!」
堀田の苦鳴にはっとして思わず動きを止めると、
「だ、いじょうぶ、だから⋯⋯」
そんな情けないかおするなよ、とうすく涙の膜が張る、まなじりの垂れた双眸に微笑まれた。
そんな表情にさえ煽られて、ごくりと意識に喉を鳴らしてしまう己の浅ましさを恨めしいと思うのに、いまはそんなことより目の前の、この美味しい柔肉を貪り尽くしたくてたまらない。
いいから来いよ、と更に誘いをかけられてしまえば後はもう、加減も忘れ、本能のままに腰を打ち付けるしか出来なかった。
弱く過敏な部位ばかりを狙われ容赦なく蹂躙されて、もうわずかも耐えることが出来ず堀田に限界が訪れる。
「赤崎⋯⋯!」
「も、いく?」
「あっ、ん、あぁ⋯⋯っ」
りょう、と。ふだんの彼からは想像も出来ないような甘く濡れた声で、舌足らずに赤崎の名を呼びながら堀田が果てる。
その声の鼓膜を舐めるようなぬめった響きと、自身への強烈な締め付けとに最後の牙城を陥とされて、
「く、ぅ⋯⋯!」
赤崎もまた、最後のひとしずくまで、ゴム越しに堀田の胎内へと遂情していた。
絶頂の余韻に身を委ね、ぼんやりとした曖昧な眼差しを寝室の天井に向けていると、堀田の視界いっぱいに赤崎の顔が現れる。
上から覗き込んで来、大丈夫っスか、と心配げな声を出す年下の恋人は、ふだんチームメートたちに向けている不遜な態度はどこへやら、ひどく寄る辺ない様子で歳相応に幼く見えた。
そんな赤崎の些細な表情や行動に八つの歳の差を意識することもままあるが、決して指摘はしないと決めている。なぜなら、自分の方が年下であるということを、赤崎が必要以上に気にしているらしいと堀田は知っているからだ。万一それを口に出そうものならプライドを傷つけるだろうし、臍を曲げられかねない。
惚れた欲目だと自覚しつつ、赤崎の、自分のこころに嘘がつけない真っ直ぐさや生意気な性格までもを、堀田はかわいいと思っているのだけれど。
見下ろして来る赤崎の頬に手を伸ばし、するりと撫でてやれば、まだ熱の冷めやらぬ鎖骨にくちびるを落とされた。更に濡れた舌先で愛撫され、火照ったままの膚には強過ぎるその刺激に、先刻まで赤崎と繋がっていた最奥がずくりとうずく。
重なり合った下肢に当たる感覚で、ゆるやかに兆し始めている赤崎のそれに気付き、堀田は目蓋を上げた。
「堀田さん、俺⋯⋯」
まだ足りない、あんたが欲しい。
「⋯⋯いいよ」
赤崎のねだるような、訴えかけるような熱烈な視線に絆されて、甘やかし過ぎだと自嘲はしても、その先の行為を自重する気にはなれなかった。
二度目の交歓のあと、ふたりで一緒にシャワーを浴び、戻って来た寝室のベッドの中、堀田を腕の中に閉じ込めた赤崎が、
「堀田さん、前にトレーナーの資格取りたいって言ってたっスよね?」
そんなことを訊いて来た。
堀田はゆるやかに押し寄せる眠りの波に、いまにも攫われそうになりながら頷く。
「ああ、そんな話、したことあったな」
あれは確か、スポーツ選手を支える裏方の人達にスポットライトを当てたテレビ番組を見ていたときの、他愛ない会話だった筈だ。
そのときは理由を明らかにしなかった堀田だが、いずれは訪れる引退後の、再就職を見据えての発言だった。現役でなくなっても、サッカーという競技そのものから離れるという選択肢は堀田の将来プランにはない。
「じゃあ資格取ったら俺の専属になってください」
「おいおい、いくら何でもそんな⋯⋯気が早過ぎるだろ」
急にどうしたんだ、と笑って問いただす堀田の言葉も耳に入らないのか、
「いまから予約っスから」
赤崎は性急に言い募る。
現在はまだ五輪代表の身分でしかないが、いずれはA代表にも選出されるつもりであるし、そうなれば、それを足掛かりに海外のクラブへ移籍する――それが赤崎のサッカー選手としての青写真だ。
もちろんお気軽に夢見ているだけではない。確かな目標として掲げ、公言もし、日々努力を続けている。
「だから、俺が海外に移籍するときは、堀田さんにも一緒に来て欲しいんス」
「え?」
「そのときまだ堀田さんが現役でプレーしてたら、すぐにとは言わねえっス。俺待ちますから」
「赤崎、おまえ⋯⋯」
これではまるで――。
ある可能性に思い至り、それまでは何ということもない冗談だろうと軽く受け流していた堀田が表情を改めた。気付けば眠気すらも吹っ飛んでしまっている。
――これではまるで、プロポーズ⋯⋯。
「言っときますけど、思いつきでも気紛れでもないっスよ!」
俺、本気っスから、と更に声を大きくして力説する赤崎に、
「わかってるよ。お前はいつだって真剣で本気だよな」
茶化していると思われないよう、堀田もまた真摯な眼差しを赤崎へと向け直す。
赤崎が決死の想いをぶつけて来ているのなら、こちらもまた相応の気持ちで返さなければ。
「俺、ずっとあんたと一緒に居てえ」
短くも濃密な時間を過ごしたであろう堀田の高校時代のチームメート達にも負けないような、長く密度の高い時間をこれから過ごして行きたい、一生を掛けて。
不安をたたえた表情で反応を窺っている赤崎に、堀田は怖がらせないよう微笑んで見せる。
「そこまで俺のこと想ってくれてるってわかって嬉しいよ、ありがとな。けど、急過ぎて⋯⋯なんて答えていいか⋯⋯」
伸ばされた堀田の手指が赤崎のまなじりに触れ、頬の稜線を辿るようになぞっていく。
「⋯⋯」
「いい加減な返事はしたくないから」
だから、少し考える時間をくれないか?
それが、いまの堀田に返せる唯一精一杯の誠意。
堀田の言葉に、はい、と神妙に頷いて、とりあえずいまこの瞬間の欲を満たすべく、赤崎は腕の中の愛しい存在を力いっぱい抱きしめた。
2011.12.13 脱稿/2018.10.23 微修正
・2012.02.19開催 浅草トライアンフ 4th発行 堀田受10カプ以上アンソロジー『honey bee happy』に寄稿。