『must be you』 R18


「ドリさんお疲れ様っス! はい、コレ!」
 最近ようやく手に馴染みはじめた松葉杖をつきながら緑川がロッカールームに入ると、それを目ざとく見つけた世良が、着替えの手を一旦とめて、一枚の紙を手に近付いて来た。
 緑川は現在ほかのチームメイトたちとは別メニューで調整中だ。全体練習には当然参加できないし、まだ本格的なリハビリにも取り組める段階ではないので、出来るところから始めようということになり、主に上半身の状態を維持するため、トレーニングルームで汗を流している。
 世良から差し出された紙片を受け取り目を落とすと、そこには今月のカレンダーとおぼしきマス目と数字、そして飛び飛びに選手の名前が書き込まれていた。
「なんだこれ」
「送迎担当表っス」
「送迎たん⋯⋯、は?」
 世良の言葉を途中までオウム返しにし、意味不明なその内容に、緑川の口から思わず間抜けな声が出る。
 困惑顔で頭の上にクエスチョンマークを飛ばしている様子の緑川と、説明にまごついている世良を見かねたのだろう、
「世良さんそこどいて」
と、世良の背後から声がして、先輩を先輩とも思わぬ不遜な態度で小柄なFWの両肩を掴み、脇にスライドさせたのは赤崎だ。その赤崎が、世良から話を引き継ぐ。
「ドリさんこれからもトレーニングしに来るんスよね?」
「あ、ああ」
「俺らと練習時間は同じっスよね?」
「基本的には」
「いまタクシーでここまで来てるでしょ? それをこれからは俺らが送り迎えしますって、そういうことっス」
「⋯⋯や、その、おまえらの好意は嬉しいけどな」
 さすがにそこまでは甘えられないと、やんわり断りを入れようとした緑川だが、気づけば周りをぐるりとチームメイトたちに取り囲まれており、その訴えかけるような、そして期待にみちみちた眼差しの集合に続けるべき言葉を飲み込んでしまう。
「別に無理してるわけじゃねーっスよ。俺らの練習がある日だけなんで、そこは気兼ねしないでください」
「そう言われても⋯⋯」
「ドリさん」
 ポン、と肩を叩かれ振り向くと、そこには杉江が控えており、
「ちゃんとみんなで話し合って決めたことだし、そもそも希望者の名前しか入ってませんから」
 だから遠慮は要りませんよ、と長身のCBが穏やかな笑みを浮かべる。更なる補足を彼から聞くところによると、寮住まいであったり、免許はあっても自分の車をまだ所有していない若手の一部はこのメンバーから除外されており、要するに車持ちの選手だけに許された『特権』なのだそうだ。
 ちなみに、この件の発案者であるという世良と赤崎には、実はその権利がない。ふたりともまだ寮住まいの身であるからだ。肝心な自分たちが参加できないのにこのような企画を持ち出したのは、ひとえに、彼らが常日頃なにかと世話になっている緑川の役に立ちたい一心から、であるらしい。
「だからってなあ⋯⋯」
 やはりそこまでして貰うのは気が引ける。
 尚もどうにか反論を試みた緑川だったが、
「そういう訳だから、観念して今日は俺に送られてくれ」
 杉江の後方から、キーホルダーを引っ掛けた指を顔の横に掲げて現れたのは村越だ。その姿を見留めた緑川が、手にした紙に改めて目を遣れば、今日の日付のマスにはチームキャプテンの名が記されていた。
「トップバッターがおまえって⋯⋯」
 ていうか、おまえまで一枚噛んでたのかよ! と天をあおいだ緑川を笑い、
「こいつら誰がいちばん最初にあんたを送迎するかってんで大揉めだったからな」
 黙らせるには、この人なら仕方ない、と思わせる存在でなければならず、村越としては助け舟のつもりで口出ししたらしい。
「むしろとめてくれって。諌めるとこだろ、そこは」
 若手の思いつきに便乗するなど、村越にしては少々軽率にも思える。が、
「諦めろ、ドリさん」
 村越に笑顔で宥められ、はーっ、と深いため息をついたあと、
「わかったわかったわかりました、降参するよ」
 仕方ねえなあと眉尻を下げ、両手をあげて白旗を振った緑川に、ロッカールームは、やったあ! という歓声に包まれたのだった。







「じゃあ村越、悪いけどよろしく頼む」
 着替えを終え、帰宅の支度を整えて、待たせてしまっていた村越に緑川が声を掛ける。
「ドリさん、バッグ」
 持つから寄こせ、と言葉には出さないまま手を差しのべる仕草で促され、ここでまた拒絶するのも大人げないか、と礼を述べつつ荷物を引き渡す。
 まだ室内にちらほらと残っている仲間に挨拶をしたあと、
「行こうか」
「ああ」
 ふたり分のスポーツバッグを肩にさげた村越に促され、緑川は松葉杖を持ち直した。
 廊下に出、クラブハウスの外へと向かう村越が、後から付いていく緑川の歩調に合わせ、ゆっくり足を運んでいるのがわかる。
 さりげない気遣いが面映く、自然と頬がゆるんだ。
 既に夕刻とはいえ未だ厳しい真夏の陽射しに閉口しつつ駐車場へ出ると、バッグをふたつ置いた車の後部座席に松葉杖も並べ、緑川は助手席に腰を落ち着けた。シートベルトを締めたのを横目で確認し、村越が車を発進させる。
 緑川がナビをするまでもない。村越にとって緑川の家までは既に通い慣れたルートだ。
 蒸し風呂のようだった車内にじきにエアコンが効き始め、ようやくふたりは息をついた。
 今日の練習中の出来事などを話題にしている間に、緑川の住むマンションが見えてくる。
「村越、おまえこの後なんか予定ある?」
「いや特には何も」
「だったら上がってけよ。茶ァぐらい出すから涼んで行ってくれ」
「じゃあお言葉に甘えようか」
 マンションの前で緑川と荷物とを下ろし、近くの駐車場へ車を停め直してから、村越はふたたびマンションへと引き返した。それから、エントランスの前で待っていた緑川と共に建物の中へ入り、エレベーターに乗る。
「ここに来るのも久しぶりだ」
「そうだったか⋯⋯?」
「まああんたはそれどころじゃなかったよな」
 狭い箱から先に緑川を下ろし、そのゆっくりとした歩を気遣いつつ、後について部屋へと向かう。
 緑川が錠を開けたドアを村越が引いて固定し、部屋主がただいまの声と共に足を踏み入れる。その後に続いた村越は、背後のドアが閉まる音を聞き届けると同時に、靴を脱ぐため松葉杖を壁に立てかけた緑川を背中から抱きすくめた。
「⋯⋯っ」
 緑川は一瞬息を飲み、けれど、
「暑いって」
 続いた言葉には色気の欠片もない。
 エアコン入れるからちょっと離せ、と抗議されても村越は腕の力を緩めようとはしなかった。
 村越に密着された緑川の背中にじわりと汗が噴き出す。
「村越⋯⋯」
 しょうがねえなあ、という思いが込められた呼び声に、緑川の腹にまわされた村越の腕の先で、手指がピクリと反応した。
「せめてそっち向かせろよ」
「⋯⋯」
 どうせこの足じゃ逃げられないんだから、と更に言い添えてみて、ようやく、しぶしぶ腕が解かれる。身を反転させて向き合ってみれば、照れているのか、村越の視線は下向きに逸らされていた。
 ――いや、これは照れじゃなくて⋯⋯。
 いろいろと我慢に我慢を重ねた結果なのだろう、眉間に刻まれた皺が深い。
 怪我をして以降、村越とのそういう意味での接触が皆無だったことに思い至り、緑川は困ったように頬を掻いた。そんなことにも気づけないほど自身の怪我のあれこれで手一杯だったのかと、改めて思い知らされた気分だ。
 仕方ないこととは言え、村越には随分と忍耐を強いてしまっていたのかも知れない。
「村越」
 うっすらと汗の浮くいとしい男の頬に手を添え、贖罪の想いを込めて眉間に唇を落とす。
 離れて行く顔を追い、村越のそれが緑川の唇に触れた。
 表面をなぞるだけのスキンシップから、やがて角度をかえて深く噛み合わされ、熱い舌が口腔を撫であげ欲を煽りたててくる。
「ドリさん」
「ん⋯⋯」
 情熱的にその先を求められ、いったんそうと意識してしまえば緑川にもたいして余裕はなかった。
 荒い息をついて刹那、口付けをほどく。
「村越⋯⋯」
「ん」
 待てないというようにすぐさま息を奪い直され、村越から放たれる一途な熱に応えようと、緑川は壁に背を預け男の首に両腕を回した。
 夜はまだこれからだ。






 かろうじて寝室にまでは移動した。
 エアコンが効くのを待てず、汗みずくになりながら互いの服を脱がせ合う。Tシャツとポロシャツをそれぞれ脱がせ終わったところで、
「その⋯⋯最後まで出来なくて悪いな」
 挿入に至れないことを詫びる緑川に思わず舌打ちしそうになり、村越は寸でのところでそれを飲み込んだ。
「そういうことじゃねえだろ」
 わかってねえんだな、とため息をつき、
「あんたとするのがいいんだろ」
 相手の体温がそこにあり、肌の感触、漏れる吐息や汗の匂いまで、五感で感じられることに意味がある。ひとり無聊を慰めるのとは比べるべくもない。
「素股でいいとか言うなよ⋯⋯?」
 フットボーラーの内腿など、たとえフィールドプレーヤーでなくとも硬いだけで気持ちいいとは思えない。
 譲歩したのだろう緑川の発言に、
「言わねえよ」
 村越は苦笑いで返して、親指の腹で緑川の唇をなぞり、それを口端に宛てたまま、
「そのかわりと言っちゃあなんだけど⋯⋯。口(ここ)で、してくれねえか」
「⋯⋯ん、いいぞ」
 返答にわずかながら間があいたのは、さすがの緑川にも葛藤があったせいだろうか。それでもすぐに首肯して、村越の指に口づけた。
 足の怪我を考慮すればベッドに這わせるわけにもいかず、緑川をベッドサイドに腰かけさせて村越がその前に立つ。
 これまで何度か身体を重ねて来たが、村越がしたことはあっても緑川からの口淫ははじめてだ。
 もっとも女にされた経験は豊富だろうと思う。それこそ相手はよりどりみどりだった筈だ。日本代表正GKの肩書は夜の巷でも充分その威力を発揮しただろうから。
 カチャリと音をたててベルトのバックルがはずされ、緑川の顔が近づいてきた。
 その行動を訝しみ、一拍ののち、
「ドリさん⋯⋯?」
 まさか、と身構える隙もなく、ゆるく開いた緑川の唇の間からちらりと覗いた上下の歯が、ジッパーの引き手を挟んで咥え、スライダーごと引き下ろして行く。
 ふ、と頭上から降って来た吐息に気を良くして、緑川は下着の上から村越のそれへ口づける。と、期待してか既にかすかに兆し始めているのがわかり、緑川の口端がわずかに上がった。
 頭部に添えられた村越の手に力が入り、無言で先を促されているのを感じる。
 下着に手をかけ、窮屈そうなそれを引き出し、唾液を溜めた口内へそっと咥え込んだ。脈打つ血管の動きがじかに舌に伝わり、緑川の背も粟立つ。
 自分で相手にしていることが、そのまま村越にされていることのように思え、倒錯的だと冷静に考える理性とは裏腹に感性が暴走する。
 触れられてもいない自身が熱を持つのを感じながら、緑川は村越への愛撫に没頭した。
「ドリさん⋯⋯」
 裏筋の太い血管を押し潰すように舌を使われ、手指で双袋をもみしだかれ、村越のくちびるから荒い息がこぼれ落ちた。
「んっ」
 敏感な先端を喉奥に導かれ、嚥下するような動きで慰撫される。たまらず腰を前後に揺らしてしまうが、緑川はおとなしくされるがままになっていた。
「ん」
 えずきそうになるのを誤魔化して、いちど口を離し、
「いいのか?」
「良いに決まってる」
 たまらない、と熱い声が呻き、頭髪に絡む指が限界が近いことを知らせてくる。
「このまま⋯⋯」
 出していいぞ、とふたたび口腔に熱を受け入れて、きつくすぼめた頬で最後を促す。
 村越は逆らわず、ぐっと腰を押しつけてその強い引きに身を任せた。
「んんっ」
 ごくりと上下に動いた喉仏に、つられて充足の息をつき、村越は緑川の頭を解放した。
 生理的な涙でうるんだ眼、そのまなじりに親指を添わせ、いたわりを込めてなぞる。
 すげえ良かった、と耳元にささやいて、
「ドリさんも⋯⋯」
 緑川の身体を改めてベッドヘッドへ凭れかかるように横たえさせ、下肢を覆う衣服を取り去り、その右足を、無茶な動きをさせないよう大切に脇の下へ抱え込む。
 既に勃ち上がっている股間を晒され気恥ずかしいのか、顔をそむけるのが意外で、
「あんた、意外とかわいいとこあるよな」
 言えばますます照れくさそうに腕が顔を隠してしまう。その腕を無理に取り上げることはせず、目の前にある胸に色づくものへ唇を落とした。
「村越!」
 焦らすなとなじられても駄目だ。
 もう充分に身体は熟れていて、緑川としてはすぐにでも吐精してしまいたいのだろうけれど、ずっと触れることが出来ずにいた飢えを満たしたい村越にはその要望を聞き入れる気はない。
 手で舌で全身いたるところに触れ、下肢に口づけ、震える内腿に濃く痣を残し、胸を合わせて唇をむさぼる。いかせないようにゆるくしか触れないその奥は、口寂しいのか、誘うようにひくついていた。
 仕方ない。いつもなら、熱く硬く太い村越の剛直を最奥まで飲み込んでいる頃合いだ。
 く、と喉を鳴らした緑川が、村越の腕をつかみ、そこへと誘導する。
「だめだろ⋯⋯」
 宥める村越の声が聞こえていないのか、嫌だと首を振る緑川は、頑是ない子供のようだった。
 しょうがないなと譲歩して、指を一本後孔に飲みこませる。
「!」
「⋯⋯」
「ん、あ⋯⋯っ」
「くっ」
 きゅうきゅうと指を締め付けられ、思わず村越の口からも呻きが漏れた。こんな魅惑的な肉筒に自身を挿入してしまえばまず間違いなく理性を保てなくなる。
 内襞のやわらかさを確認してもう一本指を増やしながら、
「俺のじゃなくて悪いけど」
 理性と本能のはざまで無理に叩いた軽口には、
「ば、かやろ⋯⋯!」
 かわいげのない罵倒が返された。それでも身体は愉悦に従順で、村越の腕に擦りつけるように腰が揺れている。
「三本目⋯⋯」
「言う、な、って」
 奥まで届かないことがもどかしいのか、緑川が切ない表情を見せ身悶えはじめる。だが、いまの緑川はめちゃくちゃに暴れ出しそうになる身体を、村越に全身で抑え込まれてどうにか体裁をたもっていられるような状態だ。我を忘れ、怪我を顧みず、本能に飲まれるわけに行かないのはお互い様だった。
 足りない熱量を埋めようと、緑川は目の前の身体に強くしがみつく。
「村越⋯⋯、も、う⋯⋯」
「ああ」
 わかってる、と頷き、村越は自身で突き上げるのと同じリズムで、届く限り奥まで指をねじ込む。
「あ! っ、むらこし⋯⋯っ、んん!」
 忙しない息を互いの頬にぶつけ、むさぼり合うような口づけをかわしながら、最後は先端の小さな口に爪を立てられ、その刺激で緑川は遂情していた。
「――っ、⋯⋯」
 ひくりひくりと締め付けてくる内壁に指を預けたまま、村越もまたじわりと溢れてくる悦の余韻を味わい、ふかく息を吐きだした。





 緑川がシャワーを浴びるのを手伝いながら自分自身も汗を流し、ひと足先に寝室へ戻った村越がベッドメイクを終えたところへ、ペットボトルの水を手に部屋主が入って来た。
「あー、悪い、ありがとな」
 シーツを取り換えてもらったことに礼を言い、ペットボトルをサイドテーブルに置くと、緑川はギプスに覆われた足を気遣いながらごろりとベッドに横になる。
「ひと眠りしたらメシにしよう」
「そうだな」
 ちょっと休みたい、という緑川の意向に逆らわず、村越もそのとなりへ身を伸ばす。
 既に眠そうな様子の緑川の、シャワーで整髪料の落ちた髪に指をすべらせながら、村越は沸き上がった悪戯心のまま、あることを口にした。
「ドリさん達くとき裡(なか)に俺がいないとすげえ物足りなさそうなんだよな」
「⋯⋯!」
 がばっと跳ね起きた緑川は、次の瞬間、うわー、とひとことうめいて額に手を宛て、
「そう、かも⋯⋯」
 しぼり出すような声で言い、つづけて、けどそんなこと指摘すんなよ、と頭を抱える。
 腕の隙間からのぞいた顔が真っ赤だ。
「だからって、道具使うのだけは勘弁しろよ⋯⋯?」
 腕の中から目だけをのぞかせた緑川の、睨むまなじりがほの赤い。
「しねえよ、そんな勿体ないこと」
 緑川の胎内の熱さやうねる柔襞、きつい締めつけを、じかに感じることが出来る機会を、たとえそれが意思を持たぬ道具にであっても譲る気など村越にはない。
「あんたがそういうプレイが好みだって言うなら考えねえでもないけど」
「馬鹿だろ、おまえ」
 心底呆れたと言わんばかりの口調で言い放ち、そして、
「おまえとだからいいんだろ」
 にやりと笑った緑川はたしかに確信犯の面持ちで。
 あんたにはかなわねえな、とごちる村越もまた満更でもない表情をしているのだった。



2012.01.05 脱稿/2018.11.11 微修正 



・初出:『must be you』2012.01.08 発行