『Summer Time Graffiti』 R18


「堀田、おまえやっぱ少し痩せた?」
 一日の練習を終えたクラブハウスの、開放感にざわつくロッカールームで石神に声を掛けられ、脱ぎ掛けの練習着を両腕にひっかけたまま、堀田は自分の上半身を見下ろした。
「あー⋯⋯、ちょっと、だけ、落ちましたかね⋯⋯」
 にぶい歯切れで答え、
「⋯⋯わかります?」
 気まり悪げに眉尻を下げて問い返せば、とぼけたような表情の石神が堀田を見ていた。相変わらず感情を読ませない男だ。
 夏場のこの時期、試合の前後で二、三キロウェイトが変動するのは当たり前、三キロまでは許容範囲と捉えている堀田だが、実は二週間ほど前からベスト体重の最大五キロ減で、一試合消化後、次の試合までの間に回復してもマイナス二キロの溝が埋まらず、日々コンディション把握のために乗る体重計の、そのデジタル数字に目を落とすたび、これが続くようではまずいなと感じていたところだった。
 体重が増え過ぎて動きにキレがなくなるのは問題だが、体重の減少もまたスタミナに影響する。食事をしても本来あるべきウェイトにまで戻らないのは、あまり良い傾向ではない。
 石神がやはりと言ったからには、事前に予兆があったのだろう。それが何かを問い質そうと堀田が口を開きかけたとき、
「一昨日の夜おまえんちで⋯⋯」
 自主的にタネ明かししようとしたらしい石神の肘を、堀田は咄嗟に掴んで黙らせる。続けかけた言葉の先が読めてしまったからだ。
 それ以上は口にするな、と堀田の強い目線の牽制に、石神は一瞬きょとんとした表情を見せた。が、すぐ己の失態を悟ったらしく、やべえまたやっちまった、と今度はあからさまに顔をしかめ、わりぃ、と音を伴わせず唇が動いて顔の前にさっと手刀が立てられる。
 ふたりの関係を積極的におおっぴらにしようという気は堀田にも石神にもない――筈なのだが、そのくせ、こうも簡単に周囲に洩らしてしまいそうになるのは、もっぱら石神の方だった。生来あまり世間体に頓着しないのがその理由だ。
 堀田が肘を離して着替えを再開させると、
「えーっと⋯⋯、今日さ、メシ食って帰らねえ?」
と、石神が話題を変えてきた。
「スタミナつくもん何か食いに行こうぜ」
「いいですね」
 石神の提案に含みなく頷き、堀田は脱ぎ捨てた汗みずくのインナーをランドリーボックスへと放り込んだ。





 シャワーを浴びた後、ふたり揃ってクラブハウスを出た。明日はオフなので、アルコール摂取が前提、自家用車を駐車場に残してタクシーを呼ぶことにする。タクシーが到着するまでの間に行く店を決めようと相談を始めたところで、
「スタミナつけるって言ったらやっぱ肉だよな」
と、石神が言いだした。
「⋯⋯」
 肉、という単語を耳にしただけで、胸焼けを起こしたような気分になり、無意識に眉間にしわを寄せた堀田に、
「おまえそれ夏バテなんじゃねえの」
 わずかに腰を屈め、ひとつ年下の同僚の顔を斜め下から覗き込んだ石神が指摘する。
「⋯⋯別に身体は重くもダルくもないですよ」
 堀田の反駁は弱い。実際、食欲も決してないわけではないのだ。ただ、気を抜くと、すぐ喉越しの良いものばかりを選んでしまっていて、積極的には肉に箸が伸びないのも事実だった。
「じゃあさ、鳥しゃぶとかどう? 肉は肉だけど鳥ならまだ食い易いんじゃね?」
「豚じゃなくて?」
 そんなのあるんだ、と興味を示すと、
「そ、鳥。鶏だけじゃなくて鴨とか軍鶏もいけるぜ」
 おすすめの店があるんだー、と堀田の返事を聞きもせず石神は店に予約を入れるつもりなのだろう、携帯のアドレス帳を繰り始めた。携帯に登録するくらいには気に入った店らしい。
 そうして堀田は間もなく到着したタクシーに乗せられて、石神と共にお目当ての店へと運ばれたのだった。






 石神お薦めの店はメインストリートを一本裏に入った路地にのれんを出していた。平日のまだ早い時間とあってか店内はさほど混んでおらず、すぐ座敷の個室に案内される。
 最初の注文は勝手知ったる風情の石神に一任して、堀田はメニューを隅から隅までひと通り眺めるだけ眺めてみた。写真の扱いからして看板メニューは鳥鍋と鳥串らしかったが、夏場は鳥しゃぶを推しているようだ。
 既に通したオーダーで量が足りなければ追加すればいい。気になる品に何点か目星をつけ、一旦メニューを閉じたところで生中が運ばれて来た。
 一日の労働を互いにねぎらって乾杯し、つきだしを突つきながら料理の到着を待つ。そうしている間に石神が口を開いた。
「この時期おまえの体重が落ちるのなんか毎年のことだけどよ、今年はなんか妙に気になるんだよなあ」
 何気なく口にしたらしいその言葉に、堀田は思わず顔を上げていた。
「⋯⋯」
 それはたぶん、同チームに所属する先輩後輩としての付き合いだけは長かった自分たちが、想いを通わせ、チームメイトという枠をはみ出して、身体を重ねるようになって初めて迎える夏だからだ。そう推測したが、それを今ここで口に出すのは憚られた。けれど、黙っていても頬に血がのぼっているだろうことが自分でもわかる。
「堀田? どしたのおまえ、顔赤いぜ」
 案の定、石神に看破され、
「なんでも、ない、です⋯⋯」
 そう返すのが精いっぱいだ。酔ったと言い訳するにも早過ぎて、当然いぶかしまれるだろう。更なる追及をかわすべくビールを煽ったタイミングで、鶏肉としゃぶしゃぶ鍋とが運ばれて来た。
 店員による肉の説明と食べ方のレクチャーにしばし耳を傾けた後、
「よし、食おうぜ!」
「いただきます」
 ふたり、箸を手のひらに挟んで合掌する。
 まずは無難なブロイラーを、と箸を伸ばすのが堀田で、珍しいから、と烏骨鶏にチャレンジするのが石神だ。
 これいけるね、美味いよな、こっちもいい感じ、と感想を挟みつつ、肉を湯にくぐらせ舌鼓を打つ。
 しばらくして前菜にと頼んでいたサラダに箸を伸ばした堀田を見咎め、石神が不満そうな声を上げた。
「野菜も食わなきゃだけどさ、むしろ今日はちゃんと肉食えよ、肉」
 これおまえのノルマね、と小皿に肉を盛られ、うっ、と反射的に息を詰めてしまえば、
「ほーらー」
 駄目だろ、と窘められる。
「⋯⋯ガミさんが堺さんに見える⋯⋯」
「ちょ、おま⋯⋯なに言ってんのよー」
 心配してやってんのに! と石神は大袈裟なほど憤慨してみせ、しかしすぐ真顔になって、
「けどマジ重症な?」
と、顔色を確かめるように堀田の面を覗き込む。
 そうされても反応の仕様がなく、堀田は石神に促されるまま薄くスライスされた鴨肉をさっと湯にくぐらせ、胡麻ダレに浸し、レタスを巻きつけるようにして口に運んだ。
 残りひと口ほどになっているビアジョッキに気付き、もぐもぐと鶏肉を租借しながら堀田がドリンクメニューを手に取ると、
「日本酒にしねえ?」
と、石神が言いだした。
「グラスじゃなくても四合瓶くらいならふたりで余裕でしょ」
 一本行っとこうぜ、と向かいの席からメニューを覗き込んでくる。
「まあそれくらいなら全然行けるけど⋯⋯」
 なんでまた日本酒? と首を捻れば、腹に炭酸を入れるよりも食が進むだろう、という返答。
 やはり違和感満載だ。
「ガミさんに気ィ遣われるとか⋯⋯明日雨降りそう⋯⋯」
「堀田くんー、言うようになったねえ」
 にまあっと口端を吊り上げた石神の、その瞳が笑っていない。
「⋯⋯すみません」
 調子に乗り過ぎました、と後輩然とした態度で素直に謝って、改めてメニューに目を落とす。どれを選ぶか決めかねていると、不意に、
「あ、ドリさんだ」
 という石神の声がした。
「え?」
 思わず顔を上げ、堀田は店の出入り口に視線を向ける。
「あー、違う違う、酒の名前だよ。ほらここ『緑川』って」
 石神の指さす先に、篆書体で緑川と書かれたラベルの酒の写真が載っていた。
「ボトルはやっぱ緑色なんですね」
「な、これにしてみねえ? 俺飲んだことねえし」
 一度試してみたいという石神の意向を汲んで、中瓶を一本追加オーダーする。
 その後、肉を追加し、酒のアテにとお新香を頼み、もうこれ以上はたとえ別腹扱い――女の子の云うところの――のデザートだって入る隙間はない、そう堀田が音を上げるまであれこれ平らげグラスをあけて、ふたりは店を後にした。






 オフの前夜は、翌日の予定次第ではあるが、互いの部屋に泊まることが多い。
 この夜は、腹ごなしにと二十分ほどの距離を歩き、そこからタクシーを拾ってふたりが帰りついた先は堀田の部屋だった。
 一日中閉め切られ換気されないままの室内は、夜の時間帯になっても蒸し風呂状態だ。むわっと襲い掛かって来る重たい空気に出迎えられ、どうせ窓を全開にしたところでぬるんだ空気に包まれるだけのこと、堀田は迷わずエアコンのスイッチを入れる。
 出て来る頃には涼しくなってるから、と石神に先にシャワーを使うよう勧め、堀田は湯上がり後の寝間着を用意すべく寝室に足を向けた。
 石神用の着替えや歯ブラシなどといった生活必需品は、来客用のそれとは別に彼専用のものが常備されている。
 ふたりの関係が何の含みもないチームメイトだった頃には勿論そこまでの用意はなく、主たる物は堀田の手持ちから貸し出されたり新品が提供されたりしていたのだが、想いを確かめ合い、何度かの宿泊を繰り返した後、石神自らがまずは着替え一式を持ち込んだ。その後も歯ブラシや整髪料――堀田愛用の製品では代用できないため――など、日常生活に必要なこまごまとした物が少しずつ加えられて行き今に至っている。そのうちの衣料品は、寝室にあるクローゼットの、石神専用となった抽斗ひとつ分に仕舞われていた。また、それ以外にも、リビングのマガジンラックには、堀田は読まないゴシップ系雑誌が、部屋主が買って来るサッカー雑誌や通販カタログたちと違和感なく混在していたりして、そんなふうに少しずつ石神の持ち物に侵蝕されていく己の空間を、堀田はなんとなく面映ゆく眺めている。






 クラブハウスでも既にシャワーを使っていたためか、ざっと汗を流すだけで出て来たのだろう石神の湯を使う早さは烏の行水並だった。
「お先に頂きましたー」
 適当に座っていてくれなどと、わざわざ言葉にして伝えなくとも好き勝手くつろぐくらいには、石神はこの部屋で過ごすことに馴染んでいる。
「ビール飲みますか?」
 風呂上がりの一杯、良かったら注ぎますよ、と対面式のキッチンから顔を覗かせ、エアコンの効いたリビングのソファーに座って髪を乾かしている男に声を掛ければ、
「麦茶でいいよー、冷やしてるのあるだろ?」
 夏の間は麦茶の作り置きを欠かさない部屋主のマメさを知っている石神がそう答えた。
 望まれるまま堀田が麦茶を注いだグラスを手渡すと、
「サンキュ」
 礼を言うのもそこそこに、石神は一杯分をほとんど一息に飲み干してしまう。
「おかわりは?」
「んんー、もういいー」
 空になったグラスを受け取ってシンクに置き、バスタオルを頭に被ったままリモコン片手にザッピングを始めた石神を横目に、堀田は自らも汗を流すべく浴室へと足を向けた。






 堀田がシャワーを終えてリビングに顔を出すと、それを待っていたかのように石神がテレビの電源を落としソファーから立ちあがった。
「堀田」
 名を呼ぶと同時に腕を突き出され、堀田が条件反射で手を差し出せば、手首を掴まれ寝室へと導かれた。
「ガミさん?」
 ふたりの間に漂う空気はこれから抱き合おうというには随分とくだけた様子で、その雰囲気に堀田は戸惑う。
「や、二キロもどこが痩せたのかと思ってさ」
 確かめさせてよ、と石神はどこまでが本気か読ませない声音と表情とで言い、堀田が着たばかりの寝間着代わりのTシャツを脱がしにかかる。
「ちょ、待っ⋯⋯!」
 自分で脱ぐから、と慌てて石神の腕を制し、堀田は色気のかけらもない事務な動作で上体を外気に晒した。
 露わになった上半身に目を遣って、しかし石神は頼りなく首を傾げる。
「わっかんねえなあ⋯⋯」
 見た目的にはあまり変わったように思えないのだ。
「指とか首とかさ、そういう目立たないところから痩せてくって言うけどアレほんとかね?」
「あー、それはあるかも」
 実際、気に入りのシルバーリングが緩くなっているのを思い出し、堀田が頷く。
「けど俺が気付いたのはそこじゃないんだよなー」
 呟くように口にして、
「ここんとこ」
と、腰骨のあたりを手のひらで覆うように包み込む。
「骨が当たる感じがさ、気になったんだよ」
「⋯⋯すみません」
 痛かったですか、と謝った堀田を石神は笑い飛ばす。
「ばあっか、違うって。むしろ痛いのはおまえじゃねえの」
「別に、俺は⋯⋯」
 触れ始めはともかく、事の最中はたいていぐだぐだに溶かされいいように翻弄されて、そんなことに構う余裕などないのだ。
「あ、そっか、だから気付いたのか」
 石神にもようやく、今年に限って堀田が痩せたことに気付いた理由がわかったらしい。
「去年まではこんなふうに⋯⋯」
 その頃には既に、お互い相手のことを意識していたにも関わらず――。
 触れることなんてなかったんだもんな、と石神がやけに感慨深げな声でつぶやいた。
 身を屈めた石神の唇が腰骨に触れるのを感じ、堀田はビクリと身を竦める。
「なあ、ほかにどこが痩せたのか確かめさせて?」
 小首を傾げた石神の甘えた声が耳に届き、堀田は知らず喉を鳴らしていた。









 その夜の石神は堀田の身体をひどく優しく扱った。言葉通り、どこが細くなったのかを知ろうと丹念に触れてくる指に、あらゆる場所をくまなく探られて、堪えようもなく堀田は息を上げる。
 ゆったりとやわらかな愛撫にながく苛まれるのは焦らされているようで却って辛い。歯痒さにもう勘弁してくれと懇願して、ようやく一度解放される。
 一昨日も同じように身体を重ねたのだが、翌日が練習日だったためにインサートには至らず、互いに手や口を使って処理しただけだった。
 だから、今夜はたぶん、それだけでは済まない。
 こちらからも石神に触れようと伸ばしかけた手をシーツの上に縫い止められ、横臥した姿勢で上側の脚だけ胸元に折りたたまれて、荒い息をおさめられずに震えたまま堀田はそれを確信した。
 誤って蹴り付けてしまわないよう自ら片膝を抱え込み、隘路を石神の目に晒すことは羞恥以外のなにものでもなかったが、先を望む気持ちは堀田も同じだ。それを取り繕うことに、いまさら意味などない。
「堀田」
 いいか? と覗き込む瞳のいろと小首を傾げる仕草で問われた後、指と舌とで、気が遠くなりそうなほど時間を掛けて馴らされ緩められた場所に、熱く猛った石神を受け入れる。
 喉の奥まで押し込まれるような錯覚に、息が詰まり涙が滲んだ。すぐには抽挿されず、そのかわりゆったりとこねるような動きが堀田を攻め立てはじめる。
 喉を閉めて耐えているつもりでも、酸素を求めた唇がひらくたび、不可抗力の声が漏れていたたまれない。
「⋯⋯っ」
 ちろちろとあわい炎に延々と焙られ続けているような錯覚がもどかしくて苦しくて、身の裡に飲み込んだ石神を無意識に喰い締め煽ってしまう。
「はっ! ⋯⋯堀田ァ、焦んなって」
「べつ、に⋯⋯俺はっ」
「俺も気持ちよくて嬉しいけどさあ」
 夜はこれからだろ、と耳元で囁く声にすら感じて、濡れた声が溢れた。
「せっかくいろいろ食わせたのに、これじゃ意味ねェな」
「いまさら、そん、な、こと⋯⋯」
 言い出されても困る。
「だよなー」
 ははっ、と己の発言を笑い飛ばして、
「じゃあもう少し俺に付き合って」
 石神が宥めるように口づけてくる。口腔で玩ばれる舌に気を取られているうちに、ゆるゆるとした、けれど的確に堀田の弱いところを抉るように押し上げる抽挿がはじまった。
 息苦しさに首を振れば、名残惜しげに唇が解放されて、堀田はもうそれしかわからないと云うように、ただ石神の名を呼び続けるだけのいきものになる。
 じわじわと昇り詰めさせられた果てに訪れる、ながく尾を引く絶頂感に堀田は知らず涙を流していた。





「堀田」
 わずかな時間、意識を落としていたらしい。
「ガミ、さん⋯⋯?」
 呼ばれて目を開けると、ちょっと困ったように眉尻下げた下着姿の石神が、ベッドの上にあぐらをかいて堀田の顔を覗き込んでいた。
 ひどくした覚えはないんだけど、と見当違いな反省に、一瞬ぽかんとし、次の瞬間堀田は噴き出す。
 悦過ぎて自失していたなどとは自己申告できないが、
「大丈夫ですよ、身体はどこも辛くないから」
 そんな顔しないで下さい、と子供にするような手つきで頭を撫でて石神を宥め、はやく肉をつけて、まずは手触りからこの人を安心させてあげないと、と堀田は思ったのだった。



2011.09.27 脱稿/2018.11.05 微修正 



・初出:『Summer Time Graffiti』2011.10.02 発行