手枷を嵌められた小十郎は、いま、大坂城内の狭い座敷牢に軟禁されている。高い場所にある格子つきの小さな窓と、そこから時折見える人の脚の位置から察するに、この牢があるのは半地下らしい。
あの男の執着になら気付いていた。
豊臣の軍師・竹中半兵衛。生かしたまま捕えよと命じる彼の声を、小十郎は多勢の豊臣軍兵に取り囲まれながら確かに耳にしている。
大坂で政宗の部隊と己の部隊とが分断された際、小十郎が選んだのは自らが囮となり大将を豊臣の包囲網から離脱させる作戦だった。
深追いするなと口を酸っぱくして諫めたところで、己の主がそれを容易に聞き入れるような性分でないことはわかっている。だから、分断されることは想定の内だったのだ。
結果、己が囚われの身になるだろうことも。
政宗の身の安全を確保し確実に奥州へ帰還させるため、部下のほとんどを政宗の側に割いたという事情の上に、敵兵を引き付ける役目を全うすべく敢えて目立つ行動を取ったことで、小十郎の身柄は竹中の思惑通り、豊臣軍の手に落ちた。
軍師が欲しいとあの男は言った。ならばこの身に加えられる危害も、致命的なものにはならない筈だ。小十郎はそう推測している。回復不可能なまでに損なってしまっては、元も子もないだろうし。
問題は、長期にわたり自力で脱出できない場合、かえって政宗の手を煩わせてしまい兼ねないという点だった。何があろうと、この命ひとつのために愚を犯させるわけにはいかないのだが、あの政宗がいつまでも大人しく待っているとも思えない。
よしんば待っていてくれたとしても、自分が強情を張り続けることで豊臣に靡かないと判断されれば、頭脳の利用を諦めた竹中が、この命を質にした何らかの取り引きを政宗に持ち掛ける可能性があった。
出来得るならばその事態も避けたい。
そうなるくらいなら、奥の手の行使も視野に入れる必要があるだろう。
政宗に迷惑を掛けることは、小十郎がもっとも忌避したいところだ。
――獣を解放しようか。
身の裡に棲むあの好戦的で無秩序な獣に身を任せたなら、手枷を嵌められた状態でも刀を奪われたままでも戦える。単独での脱牢も充分可能な筈だ。
正直、意識の表層を己以外のモノに明け渡す、その感覚を思い起こせば、まったく気は進まないのだが、背に腹は代えられなかった。
その頃、大坂へ攻め入っていた伊達軍が退陣したとの情報を得た佐助は、状況を実際に己の目で確かめるために甲斐を発っていた。その道程の半ばで、奥州を目指しているのだろう伊達軍と擦れ違う。
撤退情報が事実であると確信するに至り、気取られずに遣り過ごそうと樹上から蒼い一団を見送っている最中、佐助はその男の不在に気が付いた。
政宗の傍らにも殿にも小十郎の姿がない。
走り去る一団の巻き上げていく砂埃が視界から消え、なおも暫くその場にとどまってみたが、後を追って来る者の気配は感じられなかった。
だとすれば、あの男はまだ大坂の地に留まっているということか。
どのみち大坂まで足を伸ばすつもりだった佐助は、伊達軍の動向を信玄へ報告するよう配下の忍に命じてから、当初の予定に従い単独で進路を南に取った。
佐助が大坂城に潜入したとき、そこは蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
喧噪に乗じ、門兵に気付かれることなく城壁を乗り越えて樹上の葉陰に身を潜めた佐助は、騒ぎの元凶を捜して視線を巡らせる。冴えた忍の双眸は、すぐに、豊臣の足軽たちに取り囲まれている小十郎の姿を捕えた。男の、枷が嵌った手には一本の刀。業物ではない。おそらくは雑兵から奪い盗ったものだろう。
手枷の存在は、男が囚われていたことの証左だ。
撤退する伊達の一群を見た後であれば、それが何を意味するのかはだいたいわかる。
諌言を聞き入れないやんちゃな主を持つと、まったく苦労する。殊、側近であるなら尚更に。
引くことを知らない無謀な若い主に仕える者同士として、佐助は小十郎を気に入っていた。当の小十郎に嫌われているらしいことは、見え隠れするその言動の端々から充分推測可能だったが、構いはしない。確かに邪険にはされるものの、あの律儀な男は完全に無視するということがないのだ。融通の利かないその四角四面な性格が、いっそ愛おしいほどだった。いつか機会を得られたら、じっくりと絡んでみたいものだと思っている。それこそ小十郎が音を上げるまで。
そこまですれば、嫌でも己の存在をあの男に刻み付けることが出来るだろう。
佐助が薄暗い願望を胸に過らせている間にも、小十郎は城壁の側へじりじりと追いつめられていた。
どうやら豊臣側の大将とその片腕とは、現在不在であるらしい。そうでなければ、ここまでの騒ぎになる前に事態は収束している筈だ。
更には傷付けるなとの指示が事前に出ていたと見え、雑兵たちは小十郎を遠巻きに包囲してじわりじわりと移動するだけで、致命的な攻撃を仕掛ける素振りがない。脱牢は許したものの、それでも数にモノを言わせ、すんなり城外へ出すことだけは辛うじて阻んでいる。
――いや、違うか。
佐助は目を眇める。
小十郎は退路を阻まれているのではなかった。逃げるだけなら簡単にそう出来るところを、城内へ戻ろうとしているらしい節が見える。理由は判らないが、小十郎は積極的には逃走を図っておらず、明らかに足運びが鈍い。
城内に何かを残して来ているのかも知れなかった。
だが、戻るにせよ退くにせよ、あれだけの数の兵の囲みを突破するのは、いかな小十郎とて容易ではないだろう。
どうするつもりかと見守る佐助の視線の先、しばらくは往生際悪く足掻いている様子の小十郎だったが、やがて諦めたらしい。手枷の不自由を感じさせない器用な身のこなしで城壁の上に飛び乗ったかと思うと、その後は、堀を越えるべく、橋の掛かる位置を目指して躊躇なく走り出した。
その小十郎を目掛け、勇気ある雑兵の幾人かが仲間たちを踏み台にして跳躍し、連なるように躍り掛かっていく。
複数人に飛び掛かられて支えきれず足を踏み外した小十郎は、豊臣の兵たちと共に団子状態になり、縺れ合って堀へと落ちた。
派手な水音と共に大きく水柱が上がる。
佐助は思わず顔をしかめていた。
そもそも堀というものは、その性質上、簡単に這い上がれるような造りをしていない。その上いまの小十郎は手枷を嵌めたままだ。たとえ雑兵に邪魔されなかったとしても、無事に橋の掛かる場所まで泳ぎ切り、且つ逃げ果せることが可能だろうか。
「こいつは俺様の出番かな」
ひとりごち、佐助はしゃがみこんでいた枝の上でおもむろに両膝を伸ばした。
最後まで傍観者として高みの見物を決め込むには、この忍、少々その男に執心し過ぎていた。