片倉小十郎が、主・伊達政宗からの命で上田行きを仰せつかったのは、師走も下旬に差し掛かろうとする頃だった。
真田幸村じきじきの要請だとのことで、政宗から差し出されて目を通した、上田より届いた書状には、確かに小十郎の来訪を望む旨がしたためられていた。
「いまから支度すりゃあ二十四日までには着けんだろ」
幸村の手による文には到着の期日が記されており、それが二十四日、となっている。
「⋯⋯はあ、自分ひとりであれば、おそらくは」
これが行軍ともなれば話は別だが、小十郎単騎での移動なら、雪中とはいえ多少の無理も無茶もきく。
「雪解けまで帰って来なくていいぞ」
「ご冗談を」
流石にそこまでの長居が出来よう筈もない。が、既に奥州は雪に閉ざされており、戦が出来る環境ではなくなっていた。
とうぜん周辺の領主も状況は同じである。
情報戦はその限りではないが、物理的な戦は春までお預けだ。軍師不在でも不都合な事態は生じないだろうと思われた。
小十郎がこれから向かおうとしている信州も、気候的には似たような環境だろう。
「正月が過ぎてから戻ればいい」
当たり前のようにそう言い放った主へ、帰還する際には先触れを出すことをのみ約束し、小十郎は旅支度を整えるため座を立った。
そうして翌日。
早朝から奥州を発った小十郎は、数日をかけ、比較的雪の少ない海沿いの街道を選んで南下し、身ひとつで上田に乗り込んだ。
「片倉殿! お待ちしており申した! 遠路はるばるようお越し下された!!」
期日通りの二十四日は正午、上田城に入城した小十郎を出迎えに現れた真田幸村は、相変わらずの溌剌ぶりだった。千切れんばかりに振られる犬の尾が見えるようだ。
両手をひろげられ抱きつかんばかりの歓迎を受けた小十郎は、予期していたにもかかわらず怯み、頬を引きつらせる。
幸村の実直極まりない性格を好ましいと感じている小十郎だが、少々度が過ぎてもいてしばしばついて行けないことがあるのだ。小十郎に柔軟さが足りないのか、それとも元からの年齢差のせいだろうか。
「此度はお招き頂き⋯⋯」
と、かたちばかりの口上を述べた後、小十郎は率直に尋ねた。
「ところで真田、俺は何のために呼ばれたんだ?」
政宗宛に届いた書状にはその旨が記されていなかった。事前に政宗と幸村との間で何かしら取り決めでもあったのかと想像したが、当の主に問うたところ、そのような遣り取りはなかったと言う。その時点で改めて幸村に問い質すことも考えたが、小十郎は実行には移さなかった。期日を守ることを優先した結果である。
「佐助に褒美を、と思いまして⋯⋯」
「は?」
小十郎にとっては予想外の、突飛すぎる返答に思わず間の抜けた声が出た。
「お恥ずかしい話なのですが」
幸村が首裏を撫でながら俯く。そして、金銭的な蓄えがないために、働きに見合うだけの上乗せが出来ず、佐助が望む給与の増加が果たせないのだ、と告白した。
「⋯⋯⋯⋯」
開いた口が塞がらない。
小十郎は比喩ではなく口を半開きにしたまま固まった。
幸村が面を上げ、
「民なくして国は成り立ちませぬ! されば、お館様が蓄えは民のために使えと申されますし、それがしもそうあるべきだと思いますゆえ」
必要に応じて民草にばら撒いて来たのだと言う。
正論ではあった。
民の生活を第一に考えての所業、と言い切る幸村の姿はいっそ清々しい。だが、それで部下への賄いが滞ってはまずいのではなかろうか。
「⋯⋯」
頭が痛くなって来た。
これでは彼の忍もさぞや気苦労が絶えまい。
だが、所詮は他軍所属の身、己が意見を差し挟むことも憚られ、小十郎は口をつぐんでいる。
「それが武田の心意気でござる」
そこのところは譲れない誇りでもあるらしく、目をキラキラさせて胸を張った若虎が言ってのけた。
気圧された小十郎には、わかった、と頷くしか出来ることがない。
「それはわかったがな」
そのことと、自分が上田に招かれたことと、どう繋がるのかが小十郎には理解できない。
「片倉殿が参られれば佐助が喜ぶようなので」
「は?」
ふたたび間の抜けた声が出た。
―ンの阿呆が!
何を悟られてやがる馬鹿忍!
しかし、小十郎の内なる罵倒は当然誰にも聞こえない。
「それで、片倉殿にこちらへお出で頂くわけには参りませぬかと、政宗殿にお伺い致したところ、快諾して下された」
―政宗様⋯⋯。
頭痛がする。
日頃から何かと小言の多い小十郎を奥州から追い出し、いっときでも羽根を伸ばしたかったのだろう政宗のことだ、それはそれは快く受諾したに違いない。
幸村は、おそらく素直に感謝して、小十郎の訪問を望む書状をしたためた。政宗の謀略の片棒を、それと知らずに担がされたのだろう幸村を責めることは出来ない。
「だがな、何もこの時期でなくとも良かったろうに」
内心荒れに荒れている小十郎であるが、口から出たのは至極まっとうな疑問だけだった。
雪解けを待つことは出来なかったのか。いや、せめて雪が積もる前、という選択肢はなかったのだろうか。
小十郎のその問いに、
「師走の二十四日でなくてはならぬのです」
幸村はきっぱりと言い切った。
理由はこうだ。
「政宗殿が言うておられた。その年一年、良い子にしていると『さんたくろーす』とやらから贈り物が貰えるのだと」
「⋯⋯」
もはや突っ込みどころがあり過ぎて、どこから指摘すれば良いのかわからない。小十郎は苦虫をまとめて数十匹噛み潰す。
確かあれは外つ国の行事で『くりすます』とかいう名称だったか。毎年、この時季になると政宗が騒ぐのでいい加減覚えてしまったが、そういえば今年に限っては話題になっていなかったような。
不審に思うことすらなく、小十郎はすっかり失念していたのだ。それが、よもやこういう展開を見せようとは、まったく予想外である。
自分はまんまと主の策に嵌ったというわけか。
しかし、己の迂闊さに歯噛みしてももう遅い。
いったい佐助のどのあたりが『子供』であるのか、真っ先に問い質すべきはその点であった筈なのだが、それすらも既に手遅れだ。
小十郎は不承不承、わかった、と頷き、
「で、肝心の忍はどうしてる?」
それはそれとして、褒美を受け取るべき忍はどこにいるのだろう。出迎えには現れなかったが、小十郎の来訪を本人に内密にしていたのであれば、不在ではない可能性もある。
が、幸村は首を横に振り、急にしょんぼりとうなだれて言った。
「それが⋯⋯いまこちらには居らぬのです」
詳しくは申し上げられませぬが、と前置きし、
「数日前より任務に就いておりまして、まだ帰還しておりませぬ」
せっかく計画した、佐助を驚かせ喜ばせようという目論見だったのだろうに、当の本人がこの場に居合わせなかったことを幸村は残念に思っているのだろう。
「そうか」
頷く小十郎に、
「されど、今朝方戻りました先触れに寄れば、今宵の内には帰還致すとのことで」
じき戻りましょう、と幸村は請け合った。
夕刻を過ぎても佐助は帰還しなかった。
上田城内では、客人を持て成すという名目で宴が催される運びとなっており、賑やかに準備が進んでいる。
城内の一室をあてがわれた小十郎はそこで旅支度を解き、湯を借りて道中の埃を落とし、疲れを癒してから、頃合いをみて現れた小者に案内され宴の舞台である広間へと向かった。
幸村の音頭で始まった宴の席は、披露される能や舞を愛でながら、初めのうちこそ大人しく飲み食いするばかりであったが、やがて無礼講になった頃には手のつけられないどんちゃん騒ぎへと変容していた。
ノリの良さは伊達軍のそれと変わらない。
小十郎は杯を片手に頬を緩め、目の前で繰り広げられる情景を眺めていた。
そのうち、幸村の配下と佐助の配下からの小十郎への献酒攻撃が一段落し、しばらくはおのおの好き勝手に飲み続けていたのだが、じきに広間には泥酔した兵士たちが転がりはじめ、気付けば死屍累々の様相を呈している。
これもまた、小十郎にとっては見慣れた光景だ。
どこの宴会も似たようなものだな、と内心に笑いつつ座を立った小十郎は、ふらりと覚束ない足取りを自覚して、今度は目に見える苦笑いをこぼす。
そこかしこ、ところ狭しとごろごろ倒れ伏している武士たちの胴を行儀わるく跨ぎ越し、左手には途中で拾い上げた徳利を提げ、右手には、これはずっと手放さなかった自身の猪口を持ち、小十郎は広間を後にした。
真冬の夜半である。障子を引いて廊下に出れば、途端、凍える夜気に身を包まれた。堪え難い寒さの筈なのだが、酒精に火照った身体にはそれすらも心地よい。
夜空を見上げると、冴え冴えとした半月が浮かんでいた。これから少しずつ欠けてゆく下弦の月だ。
手近な柱に凭れてしばらく空を見上げていた小十郎は、ふう、とひとつ吐息をこぼすとその場にどっかり腰を落とした。
庭を満たす雪明かりに目を細め、手酌で一献。
ややあって、さらにもう一杯、と徳利を傾け掛けたところで、横合いから、
「アタシで良ければお酌致しましょうか、右目の旦那」
作ったおんなの声色がそう言った。
もたりと気だるく首を捻った小十郎は、そこに見知った忍の姿を見留め、
「⋯⋯猿飛」
呟くようにその男の名を口にした。