文豪先生と担当くん―さいしょの一年―:サンプル

 白壁の外塀をぐるりと半周し、猿飛佐助は、風雨に晒されて濃く艶のある風合いに変化した木戸の前に立った。木戸の上に掛けられた筆文字の木製表札には、『片倉』と縦に彫刻された二字を読むことができる。
「ごめんくださーい」
 瓦屋根がついた門構えのスライド式の木戸は、日中、家主が在宅のときには鍵が掛けられていない。それを知る猿飛は、門の脇にあるインターホンには手を触れず、木戸を開けて敷地内へと足を踏み入れた。一応、礼儀として声を掛けたが、家主のいる屋内にまではよほど声を張り上げない限り聞こえないことも経験上知っている。
 梅雨入り間近な五月の下旬。
 猿飛は、ポロシャツとジーンズにサンダルという休日仕様のラフな服装で、カサカサと音をたてるビニールの白い買い物袋を片手に提げ、短い小径を家屋の玄関まで歩いた。
 築五十年余をかぞえるその日本家屋は、台所や風呂などすべてを入れて大小とりまぜ部屋数八つ。中央に質素ながらも坪庭が設えられた、風情のある平屋の一戸建てだ。屋敷の裏手には主が趣味で手入れしている菜園と、小さいながらも土蔵がある。
 この屋敷の主の職業は作家で、猿飛はその担当者、という関係にあった。しかし、今日の猿飛は休暇で、編集者としてここへ仕事をしに来たのではない。
 玄関まで足を運んだものの来訪を告げるでもなく、猿飛はそこから建物の南側に広がる庭へと進路を変えた。屋敷の主が、日が暮れるまでは大抵、庭に面した書斎でノートパソコンと向き合っているのを知っているからだ。



  (中略)



 猿飛がはじめて片倉を目にしたのは今から一年半前、自身が席をおく出版社の編集部内でのことだった。黒いスーツに身を包んだ愛想の欠片もなさそうなその男は、意に染まぬ呼び出しを受けたものらしくいっそう仏頂面になっており、その左頬に走る傷痕も相俟って、正直ヤのつく自由業の人間にしか猿飛の目には映らなかった。男はすぐに社内の別部署の社員と共に退室してしまったから、彼の正体が作家の片倉景綱――本名は片倉小十郎――であると猿飛が知るのは、その姿が見えなくなってからのことだ。
 勿論、猿飛も出版社に勤務する編集者の端くれとして彼の名前は見聞きしていたし、代表作が「葱畑で捕まえろ」であるという程度の知識なら持っていたのだが、この時点ではまだ、顔写真を含む詳細なプロフィールまでは記憶していなかった。
(へえ、あれが片倉先生かぁ。)
 作品から受ける印象と猿飛の勝手な思い込みとで、もっと年配の人物を想像していたのだが、年上は年上でも自分とあまり年齢差はないようだ。
(それにしてもおっかねえ雰囲気の先生だったな。)
 それが猿飛の片倉に対する第一印象で、出来得ることならあんな怖そうな人とは関わり合いになりたくない、そう願っていたのだが――。
 約半年後に行われた人事異動の際、入社以来変わらず所属していた漫画雑誌の編集部から小説季刊誌の編集部へと部署換えを命じられた猿飛に最初に振られたのが、何の因果か、そのおっかない片倉先生の担当であったのだ。