主・幸村が政宗に宛てた私的な書状を手に、佐助が奥州を訪れたのは初秋の候であった。
書状が私的なら佐助の来訪も当然おおやけに出来るものではなく、例によって例の如く伊達屋敷の天井裏に侵入して、任務をまっとうする腹積もりである。門兵の存在などあってないようなもの、あっさりと屋敷内への潜入を果たし、政宗が居るであろう政務室を目指した。
「独眼竜の旦那」
天井の羽目板をはずして声を掛ける。
驚かせがてら黙って降下、というのも魅力的な登場方法だが、以前それを敢行して、そのとき傍らに控えていた小十郎と本気の斬り合いに発展してしまったことがあり、最近は自重していた。
「真田んとこの猿か」
文机に向かっていた政宗が背中で応じる。
「ウチの旦那から書状を預かって来てるんだけど、降りてもいいかい?」
「好きにしな」
「じゃ、お言葉に甘えて」
床に降り立つ佐助の挙措は相変わらず重さを感じさせない。
背を向けたままだった政宗が、ここでようやく振り向いた。佐助が差し出す書状を受け取り、
「Response――返事が必要なものか?」
と、尋ねるのへ、
「そう聞いてますよ。急ぐものでもないみたいだけど」
幸村に言われたことを伝える。
「Ok. 相分かった」
佐助の見ている前で読むつもりはないらしく、政宗は受け取ったそれを文箱の中に入れた。
手持無沙汰になった佐助は、無意識に室内に目を走らせる。
その佐助の視線に気づいた政宗が、にやりと口端を吊り上げた。
「あいつなら屋敷に帰したぞ」
「あいつ?」
「小十郎」
「右目の旦那?」
なんでここであの御仁の名前が出て来るんで?
そう空とぼけて返そうとした佐助の言葉尻を浚い、いま探す目付きになっていた、と断じた政宗は、己の腹心と敵方の忍との関係をどこまで知っているものか、ともあれふたりを揶揄うことを楽しんでいる節がある。
「ここに居られちゃ落ち着かねえんでな」
「落ち着かない⋯⋯って誰が?」
「俺が」
「?」
どういうことなのか、さっぱり意味がわからない。佐助は首を傾げる。
「Hurricaneが近付いてやがるからな」
「は⋯はりけん?」
「That's right. 台風だ」
「あー、台風、ね」
甲斐から奥州へと向かう道中、佐助は台風を追い越していない。なので、更に西の地域から北上して来ているということなのだろう。言われてみれば風が強かったようにも思うが、佐助にしてみれば己の旅脚に影響が出ない範囲のことで、真剣に気に掛けてはいなかった。
それにしたって大和言葉で話してくれないと解んねえよ、と腹の中で毒づく佐助は、しかし台風が近付いていることと小十郎が落ち着きを無くすこととが、どうにも結びつかない。
腑に落ちない顔をしたままの佐助に、会ってみりゃてめえにも判るだろうよ、と暗に訪ねて行くよう促した政宗は、
「文の返事はすぐに書く」
急いでいないのなら書き終わるまで奥州にとどまるよう言い置いて、用は済んだとばかり、ふたたび文机へと向き直った。
どのみち、台風が接近していると言うのであれば、天候の回復を待って甲斐へ戻るのが得策だ。ならば、しばしの足留めも佐助にとっては却って好都合である。
政宗からのありがたい申し出を受け、佐助は迷わず片倉邸へと足を向けた。
「右目の旦那?」
政宗からのお墨付きを盾にして、片倉邸の庭に堂々と姿を晒した佐助は、探すまでもなく、目の前に小十郎の姿を見留めて驚いた。おまけに、戦場に赴くときの陣羽織姿ではないものの、これから戦に出ようかという張りつめた形相をしていてギョッとする。
小十郎は、庭に面した廊下に出、先刻からずっとうろうろと歩き回っていたらしい。さすがに佐助の姿に気付いて足をとめたようだが、まだ気もそぞろであるのが雰囲気でわかる。
「どうしちゃったのさ、そんなに苛々して」
殺気立った空気もなんのその、いつもの暢気な声音で訊いてみれば、西の空を睨みつけた小十郎は、
「台風が近付いてやがる」
忌々しそうに言い捨てた。
「それがどうかしたの」
「田畑がな⋯⋯」
小十郎は言いさして黙ってしまったが、男の懸念が何であるのか、ここへ来てようやく佐助にも飲み込めた。
――なるほど、ね。
この男、外見からも素行からもまったく想像がつかないのだが、野菜づくりが趣味なのである。
もちろん、立場上、私有の畑ばかりを気に掛けているのではない。伊達領一帯の作物が、これから訪れる天災によってどれほどの被害を受けることになるのか、気懸りでたまらないのだろう。
「手は打ってあるんだろ?」
「あたりまえだ!」
佐助に指摘されるまでもない。大水や暴風に備え、考え得る限りの策は講じた。だが、万全だとも言い難い。人の力で出来ることなど、自然の脅威の前には微々たるものでしかないのだ。
気持ちばかり焦ったところでどうしようもない、そう頭では解っているのだが、理性に反して感情がうねる。
政宗の政務を手伝う合間にも焦燥が態度に出てしまい、ウゼェ! との有り難くない罵声を頂戴し、そのまま帰宅を命じられてしまったのだった。
「で、てめえは何の用だ」
と、ここでようよう意識が佐助に向いたらしい。常ならばとっくに訊かれている筈の問いかけだ。
「俺様は真田の旦那のお遣いでね」
政宗に書状を届け、いまはその返事待ちで暇を持て余しているのだ、と答え、佐助は小十郎のそばへと一跳した。
「独眼竜の旦那にあんたを訪ねてみろって言われたし」
公認なのだから、人目を憚る必要はない。
「返事を頂戴するまで俺様帰れないし」
トン、と二跳目で廊下に上がり、胸が触れ合うほどの至近距離で小十郎の顔を覗き込む。
「右目の旦那はお仕事取り上げられたみたいだし?」
「⋯⋯」
「だったら俺様と――」
気が紛れることでもしながら過ごしましょうか?
了 2012.09.15発行『嵐の前の』より再録