・いざなう眠りに



 奥州の夏はみじかく、夏の夜は更にみじかい。
 佐助が小十郎のもとへ姿を現すのは、たいてい暑く厳しい日差しが身を潜めてからだ。
 忍であるにもかかわらず表立って行動することを微塵も厭わない男だが、変なところで妙な気遣いを見せる。



 その夜、佐助が訪ねた片倉邸の濡れ縁で、ひとり盃を傾ける屋敷の主はひどく不機嫌だった。
「右目の旦那、どうしたのさ、それ」
 開口一番、佐助が問い質したのには訳がある。
 浴衣の袖が肩まで捲り上げられているせいで惜しげもなく露わになっている小十郎の右腕が、白い晒しに覆われていたからだ。月明かりをたよりに目を凝らして見れば、添え木らしきものが宛てがわれ、晒しを裂いた布を巻き付け固定されているのがわかる。
「骨、折れちまったの?」
 処置の様子から、打ち身で済まなかったのだろうことは知れたが、確認の言葉が口をついた。
「薬師(くすし)の見立てじゃヒビが入っただけらしいがな」
「なにがあったのさ」
「鍛錬の最中にやっちまった」
 兵士たちの鍛錬に付き合っているさなか、小十郎のそばで複数の部下を相手に技をくりだしていた政宗が少々羽目をはずし過ぎたらしい。
 政宗の剣戟に吹き飛ばされた数人が、積み重なるようにして小十郎の上から降って来た。
 折悪しく体勢を崩していた小十郎はそれを避け切ることが出来ず、効き腕をかばった結果、下敷きになった右腕を痛めてしまったのだ。
「診てもいいかい?」
 庭から縁へと近付きながら佐助が請う。
「好きにしろ」
 自棄になっているものか、小十郎の口調はいつになく投げやりだ。
 無造作に差し出された腕を取って、佐助は晒しをほどき、添え木を外した。
 既に腫れも熱も引いているようだが、手首と肘とのちょうど中ほどに油紙が貼り付けられており、剥がすと膏薬を塗った跡があった。
「触るよ」
 痛いかも知れないけど我慢してね、とまでは口にしなくても察しているだろう。短く宣言し、有無を言わせず患部を中心に周辺を触診する。
 ぐ、と小十郎の肩のあたりに力が入ったのが知れたが、杯を口に運ぶ手はとまらなかった。
「うん、折れてはいないね」
 折れて骨の位置がズレていないのは不幸中の幸いだ。
「これ、骨接ぎの頓服」
 骨の付きが早くなるという効能を伝えつつ、佐助は小さな紙包みを懐から取り出し小十郎に手渡す。
「忍の薬だ、よく効くよ」
「⋯⋯貰っておいてやる」
 ここでようよう杯を置き、小十郎の左手が、受け取った薬袋を袖に落とした。
 元通りに油紙を貼り、添え木をあてて晒しを巻きながら、佐助は、
「それにしても荒れてるね?」
と、不思議に思って問うてみる。
 怪我のせいで不自由な生活を強いられているのだろうことはわかるのだが、辛抱強い筈のこの男にしてはそのありようが珍しい。
「退屈でな」
 即答する口調が既に飽いている。
「政宗様には士気が下がるってんで、晒しが取れるまでは登城するなと命じられたし」
 見た目が見た目であるために、怪我の直接の要因となってしまった部下たちの気持ちをおもんばかってのことだろう。
「畑に出りゃ出たで大騒ぎになるし」
 ――そりゃそうだ。
 その光景が目に浮かぶようだ。
 真剣な表情で言い募る小十郎を前にして、しかし佐助としてもここは笑いを噛み殺すしかない。
 書物を読んでみたり、文をしたためてみたり、軍略を練ってみたり。鍛錬以外にできることを、あれやこれやと実行してみたのだが、それらも連日続けばいかな小十郎とて倦(う)む。
 要するに不貞腐れているのだ。
 ついでに更なる不満を述べるなら、
「身体動かしてないせいかどうにも寝付きが悪い」
 ここ数日、暑さばかりが理由ではない不眠に悩まされているという。
「ふうん⋯⋯」
と、実に含みのある相槌を返して、
「それだったら俺様ちょっと旦那のお役に立てるかも」
 言いざま、佐助は小十郎を濡れ縁に押し倒した。
「なんの真似だ」
 この、動揺とは程遠い反応は、予測済みの状況であったためか、それとも酔って判断を鈍らせているだけか。
 敢えて、
「ちょっくら安眠のお手伝いでもしようかなー、ってね」
 わかりやすく言葉にしてみれば、
「そうくると思ったぜ」
 明瞭な返答が酔いを否定する。
「あら、期待されちゃってた?」
「そういうことにしとけ」
「ったく素直じゃないよねえ」
 どうせ何もなくたって、するこたァ済ませて帰るくせに。
 真実をひとつ言い当てて、ふん、と笑う男は夏の夜の夢の中。








了 2012.08.10発行『いざなう眠りに』より再録