情を交わし合うような仲になって幾月かが過ぎた頃だったろうか。
「こいつはあんた専用だから」
大事にしてやってよね、と武田の忍に一羽の忍鳥と引きあわされた。
あれは、いまからどれほど昔のことになるのだろう。
小十郎はその鷹の名をいまも知らずにいる。
使役する佐助が名を呼ばず、もっぱら呼子で手懐けていたせいだ。
あれから随分と月日が流れたが、細く頼りないばかりの縁は、けれどいまなお途切れることなくふたりの間を繋いでいた。
大坂で、今生最後になるだろう大戦(おおいくさ)が始まったとき、病を得て床に臥せっていた小十郎は、行軍に参加することがついに叶わなかった。
伊達は東軍に。
武田は西軍に。
戦況を報せる早馬がひっきりなしに駆け交う中、小十郎の元へ、一羽の忍鳥が飛んで来た。
「長(おさ)」
配下の者からの短い呼びかけに、忍頭であるその男は首を横に振る。
主・幸村との別れの儀は既に済ませてあった。
長い付き合いである。互いにここが死地と思い定めていることは言葉にせずとも伝わっていた。
だが、それでも、と。
忍を相手にしてですら杯を取ったかつての若虎は、ついにこの日まで一度たりとも佐助をただの草の一葉とは見なさなかった。
己の死は配下の忍が大将の幸村に知らせてくれる。
全身から血を流し叢に倒れ伏す忍頭に一礼して、歳若い部下が地を蹴った。その背を見送った佐助は、最後の力を振り絞り、口にした呼子に息を吹き込んだ。
やがて上空に姿を現した一羽の鷹が、両翼を広げ佐助目掛けて滑降して来る。
最後の任務を与えるべく、気力で掲げた腕に、ずしりとした忍鳥の重みを受け止めた。
自分とあの男にしか懐かぬよう仕込んだ一羽だ。この仕事を終えたあとは、おそらくかの地にとどまることになるだろう。
「右目の旦那のところへ⋯⋯」
飛んでくれ。
運ぶべき文はない。
それが便りであった。
久しく聴くことのなかった羽音が、しかし小十郎の記憶から抹消されることはなく、いまなお名を知らぬ忍鳥の来訪を告げる。
病身を起こし、筋力の落ちた腕にかろうじて鷹の体躯を支えると、小十郎は震える指を叱咤して、脚に取り付けられている文筒の蓋を開けた。
「⋯⋯」
文筒の中には何もない。
小十郎の喉が不自然な音を呑んだ。
「⋯⋯そういうこと、か」
握り締めたこぶしがわななく。
力の込められた奥歯が軋み、きつく目蓋が閉ざされた。
どんな話の流れの末にそんな遣り取りになったのか、仔細はもう忘れてしまった。
おそらく、あの忍の主が、草の者の命ひとつさえも惜しんで涙をこぼすとか、そんなことだったのだろうと思う。
そのとき忍が最後にぽつりと言った、
『あんたより先に俺が逝ったらさ、あんたは泣いてくれるのかな?』
その言葉が耳奥にこびりつき、いまも何故か離れない。
「なあ、忍」
――あんたより先に俺が逝ったらさ、
「てめえはあの日ああ言ったがな⋯⋯」
――あんたは泣いてくれるのかな?
「俺が泣いたかどうかなんざ――」
男は鳥の名を知らぬまま。
忍は男のそれを知らぬまま。
「てめえには一生わからねェんじゃねえか⋯⋯」
了 2012.06.17発行『さすこじゅ愛護週間まとめ本。』より再録:2015.12.19