「じゃあそろそろ出掛けるか?」
元旦もじきに昼になる頃、雑煮とおせち――これは道の駅の青果コーナーで働く前田まつが毎年馴染みの店員などに声をかけ、十膳から十五膳ほど希望者の数だけ用意して年末に格安で持たせてくれるものだ――をこたつで食べ終えて、熱い茶などすすりつつ腹具合を落ち着かせたところで片倉が猿飛を伺い見た。
みかんを食べていた猿飛はちょうど最後のひと房を口に入れたところで、むぐむぐと頬を膨らませたまま、うん、とひとつ頷く。
出掛ける先は近所の神社。
初詣をしようというわけだ。
歯磨きと手洗いを済ませた猿飛が居間に戻ると、着物の上から九曜の紋付き角袖を羽織り、単色濃茶のマフラーを首に巻いた片倉が待っていた。
「あー、俺様も着物持ってれば良かったなー⋯⋯」
せっかく初詣に行くのに、と眉尻が下がる。
着物など、大人になってからは成人式と大学の卒業式にレンタルして着付けて貰ったことがあるだけだ。
せめて今回も事前にレンタル予約しておけば、とぶつぶつ言っている猿飛に片倉が言う。
「貸してやろうか?」
「え! いいの? あ、けど先生のじゃ丈が合わないんじゃ⋯⋯」
身長差を懸念する猿飛に大丈夫だと片倉は笑い、角袖とマフラーを衣紋掛けに吊るすと、居間で待つように言い置いて自分の寝室へと行ってしまった。
待つこと数分。着付けに必要なものを揃えて片倉が戻って来た。
片倉は猿飛に着物用の下着を着るようにと肌襦袢・ステテコを手渡し、足袋を履き終えるのを待って長襦袢を着せかけ、手際よく位置を整え紐を結んでいく。
「先生着付けも出来るの?」
着せ替え人形になった気分で、されるがまま、ぎこちなく突っ立った猿飛が問う。自分で着られるのは当然知っているが、ひとに着せるのとはまた勝手が違う筈だ。
「ひとに着せるのは稽古のとき以来だがな。免許も持ってるぞ」
「そうなんだ」
長襦袢の後にふわりと猿飛の身体を包んだ着物は草の葉色で、見覚えのないそれに首をひねる。素直に疑問を口にすれば、そうだろうな、と片倉は相槌をうった。
「いつだったか、まだ学生のときにはじめて仕立てて貰ったものなんだが、その後にまだ背が伸びてな」
そんなわけで丈が合わなくなってしまったのである。虫干しのたびに仕立て直すことを考えたのだが、なんとなくそのままの状態で大事にしまっておいたものだった。
「すっかり箪笥の肥やしだったんだが⋯⋯」
てめえにはちょうど良さそうだ、と上体をわずかに引き、距離を取って眺め丈の位置を確認するさまが満足気だ。
「てめえにやるよ。機会があればこれからも着ればいい」
「ほんとに!? いいの? 先生ありがと!」
嬉しい! と声を弾ませる猿飛は目の前の男に抱きつきたい衝動を必死にこらえた。着付けの真っ最中の今そんなことをすれば、間違いなく拳骨が飛んでくる。
最後に角帯を片ばさみで仕上げ、
「よし」
これでいい。ポン、と腰を叩(はた)かれて、猿飛は姿見のある自分の部屋へ一目散に駆け込んだ。
途端に、
「おおおおおおお!」
雄たけびのような声のあと、すごい! 俺様!! ちゃんと様になってる! そんなセリフが聞こえて来、片倉はちいさく噴き出した。
おおー、と尚もこらえきれない興奮に声を漏らしながら、満更でもない様子で居間に戻って来た猿飛に二重外套(マント)を貸してやり、ふたりそろって玄関へ出たところで、廊下の奥からとらがすっ飛んで来た。その後から、面倒臭そうにのたりのたりとくろも姿を現す。
朝いちばんに家族そろって年始のあいさつをしたときには猫たちも居間に集合し、普段よりは高級な猫缶など開けて貰ってご満悦で、その後は平素と変わらず屋内の暖かい場所を探して丸くなっていたようなのだが、そこから出て来たものらしい。
出掛ける気配を察したとらが猿飛の足元にまとわりついて、しきりに連れてけ! とせがみ始めたが、くろに首根を咥えられ大人しくなる。
そもそも神社の境内は犬猫の出入りを禁じているため、連れていけても駐車場どまりだ。犬のようにリードにつないでおくことも出来ず――片倉家には猫用リードは常備されていないので――参拝の間、猫二匹を野放しにしておくわけにもいかないし、可哀想だが今日は諦めて貰うしかないだろう。
「じゃあ行って来るね」
「大人しく待ってるんだぞ」
猫たちに声を掛け、人間ふたりはおもてへと出て行った。
行先の神社は片倉邸から徒歩十五分ほどの距離にある。歩きなれない下駄履きの猿飛の歩調に合わせ、片倉はこころもちゆっくりと歩を運ぶ。
「ね、先生は神様になにお願いするの?」
「そうだな⋯⋯」
「本が売れますように、とか?」
「どうだろうな。ひとに言うと叶わないと聞くからな」
だから教えてやらん、とつれなく躱しつつ、とうに願い事は決めていた。
――今年一年、家族全員(ふたりと二匹)つつがなく暮らせますように。
了 2012.01.13