朝から始まった、政宗曰くのにゅーいやーぱーりぃとやらがお開きになって一刻程。
宴の残骸もそのままに――なにせ満足に動ける者がいないため片付けもままならない――、広間では酔いつぶれた家臣たちの群がそこここに転がり折り重なっている。元日から風邪をひかれても困るので、ありったけの羽織りや半纏を掻き集め被せては来たが、明朝の惨状を思うと今から既に胃が痛い。
酒好きだが決して強くはなく、また酒癖も悪い政宗のことは、早々にくだを巻いて誰彼かまわず絡み、やがて眠気に負けて舟を漕ぎ始めたのを潮に広間から移動させ、事前に別室に用意しておいた床に押し込んである。
己の役目は果たしたとばかりに膝を伸ばし、小十郎は広間を後にした。
今宵は新月。
月明かりのない夜の雪道を、提灯を持たせた小者を連れて小十郎はおのれの屋敷へと戻った。
小者に床の用意をさせて下がらせ、ようやくひと息ついた小十郎は、底冷えする夜半の空気をいとわず縁に出た。風がなく、酔わぬ程度の酒が既に入っているせいか、あまり寒さは感じない。
数日前から年末年始の準備に明け暮れ、この日も朝から忙しく立ち働いていて、よそごとに気を取られているいとまはなく、おのれ自身のあれこれを顧みる余裕もなかったが、ようやく今日でひと区切り、そう思うと気が抜けた。
と、同時に、あの男は今頃どうしているだろうかとの想いが沸き起こる。
忍という身分ではあるが、あの軍での扱いは少々よそとは違っている。おそらく自分がそうであったように、佐助もまた主・幸村のために年末年始の手配で奔走していたことだろう。
そういえば。
この日のために書き上げられた、政宗から幸村に宛てた新年の挨拶状は、既に上田に届いているだろうか。
『小十郎、おめえはいいのか?』
誰に、とまでは口にせず、ただ、上田へ向かわせる使者に一緒に持たせたらいいじゃねえか、と政宗には言われたのだが、小十郎は首を振った。意固地になっていたのかも知れぬ、と今になればそうも反省するが、書状で伝えたいことがあるかと改めて考えたところで、そのときは何も思いつかなかったのだ。
じかに会うことが当たり前のようになっていて、それがどれほどの異常であるか、ついつい忘れてしまう。
――年始の挨拶くらい書き送ってやれば良かったか。
文のやりとりなど滅多にしないが、それでもこれまで皆無だったわけではないのだし。
そこまで思ったところで、庭先になにものか、生き物の気配を感じてハッとする。
「?」
佐助のそれと良く似たこの気配は――。
気配の正体に思い至り、その姿を目視する前に小十郎は部屋へときびすを返していた。
佐助の忍鳥が、来ている。
右手に篭手を装着しながら縁に出、庭へと向けて腕を差し出すと、夜気を切り裂いて、けれど羽音をたてることなく黒く大きな影が近付いて来た。
やはり見覚えのある忍鳥だ。
鳥だというのに夜目が利くのだろうか。それとも特別に鍛えるなどして見えるようにしたものだろうか。
忍鳥は身構える小十郎を気遣うように一度頭上で旋回し、それからまっすぐ右腕の上に降り立った。予想した通り、その足には文筒がついている。
小十郎は蓋を開け、中に入っていた小さな紙を引っ張り出した。
忍鳥は大人しくされるがままになっている。
「こんどお前の名を聞いておかねばな」
呼べないことのもどかしさを飲み込みつつ、手にした紙片を片手だけで器用に開く。と、そこにあったのは――、
「⋯⋯押し花?」
雪明かりにかざして見たそれは、
「吉祥草の花か⋯⋯」
正月飾りにつかわれるのは実の方だが、吉祥草の、秋に咲いた花を摘んで作っておいたものらしい。やや肉厚な花弁をうまく広げて器用に押してある。
言葉は何も添えられていない。だが、正月らしい贈り物であった。
何日かけて飛んで来たものか、忍鳥が一日に飛ぶ正確な距離を小十郎は知らない。そもそも今日が元日だとわかっているとも思えないのだが、いや、あの忍のやることだ、それこそ抜かりはないのだろう。
こちらは何も用意していないと言うのに。
「⋯⋯」
しばし思案し、
「すこし待っていてくれるか?」
忍鳥に声を掛けると、言葉が理解できるのか、迷いなく腕から飛び立った鷹は庭木の枝に羽を休めた。それを見届けて室内へとって返し、小十郎は墨を磨る間を惜しんで矢立を手に取った。思うままを短冊状の紙片に一言書き付けて、墨の乾くのを待てずに懐紙に吸わせ、細く折り畳んでふたたび廊下へと出る。
文筒に入るよう紙片を丸め終え、右腕を掲げれば、それと察したらしい忍鳥がすぐさま滑降して来る。ずしりと重い質量を腕に受け止め、広げられた両翼が畳まれるのを待って文を筒におさめた。
顎下をやさしく指の背で撫で、
「おまえの主に届けてくれ」
急がずとも良い、吹雪く日もあるだろう、無事に上田まで帰り着いてくれれば、とそれだけを念じて放った鳥は、漆黒の空へと消えて行った。
朝日が昇るまで休ませてやれば良かったと、小十郎がそう気付いたのは随分と後になってからだ。
夜を徹して飛び続けた忍鳥は、翌朝には主の肩にその羽を休めてくつろいでいた。
上田は真田屋敷の屋根の上、小十郎からの文を開いた佐助は、ひとこと、
「⋯⋯参ったなあ」
そう呟き、首まで赤くなって頭を抱えた。
『会いに来い』
それが小十郎からの今年最初の詞であったので。
了 2012.01.03