乱世が鎮まって数ヶ月ののち。
伊達軍と武田軍との間に休戦の約定が交わされ、やがて正式に同盟が結ばれることとなる。
武田軍総大将である信玄の顔を立て、伊達軍の方から政宗と小十郎とが甲斐へ出向くことになり、和議の席が設けられる次第と相成った。
もちろんこれが束の間の安息だということには、両軍のみならず他軍の誰しも気付いている。些細なきっかけで世は乱れるだろうし、そうなれば再び戦乱の幕開けだ。覇権を争うためにそれを待ち望んでいる者も決して少なくはない。
甲斐は躑躅ヶ崎館の一室にて。
上座に並んで座る客人・伊達政宗と主・真田幸村とを前に、
「あんたら阿呆だろ!」
声を荒らげたのは真田忍隊隊長・猿飛佐助である。
平素であれば、政宗様に向かってなんという口の利き方しやがるこのクソ忍が、と拳骨のひとつも見舞う筈の伊達軍軍師・片倉小十郎までもが、このときばかりは微動だにせず、むしろ佐助に加担したげな面持ちでかたわらに座していた。
「いいじゃねえか、忍。同盟国同士、姻戚関係むすんでこの繋がりをより堅固なものにしようってのはよくある話だろ?」
いくら政宗と幸村にまだ子がなく――そもそも両名共に妻を娶ってすらいないのだから致し方ない――、子孫同士を結縁させることが出来ぬからと言って、
「だからって、なんで俺様と右目の旦那なの! 無理だろ!? 男同士でどうすんのよ、立ち行くわけないでしょうが!」
だいいち鎹(かすがい)となる肝心の子を成すことが叶わぬのである。そんな関係のどこに意味があるというのか。たとえ周囲にその関係を知らしめたところで、それが伊達・武田の絆を更に深めたなどと認知され、脅威を与え得る筈もない。
佐助は一息に言い募った。
「だいたい男同士でいいってんならあんたらが結縁すりゃあいいでしょうよ」
「そうはいかねえ。伊達軍は伊達軍、武田軍は武田軍、それぞれ個々に存続する必要があるからな。俺らがmarriageしちまったら、一個の軍に統合されちまう。それじゃあ駄目だろうが」
いまは一武将の身分である幸村だが、ゆくゆくは信玄の後を継ぐ身、一軍の大将自らが嫁ぎ嫁がれる関係など結ぶわけにはいかぬ、というのが政宗の言い分だ。
「佐助、佐助は片倉殿が相手では不満なのか?」
真顔の主に問われ、ぐっと言葉に詰まる。
そもそも話の論点がずれた。そのことを指摘してやりたいのだが、どこから突っ込んでいいのか正直よくわからなくなっている。
「そんなことは言ってないでしょ!」
「ならばまったく問題のうござるな!」
あっけらかんと、しかも心底嬉しそうに答えられ、
「旦那、俺様の話ちゃんと聞いてくれてた!?」
思わず全身から力が抜けた。
「おい、忍」
「⋯⋯なに、右目の旦那」
「これ以上ここで何を申し上げたところで無駄だ。いったん引き上げるぞ」
そもそも事前に何の相談もなく突然、一刻ほど前ふたり揃って御前へ呼びつけられたかと思えば、いきなり祝言を上げろと迫られたのだ。
この寝耳に水の乱暴すぎる命令には、いかな小十郎とて、では政宗様の意のままに、と肯諾できよう筈がない。
対策を練って出直しだ、と佐助に告げ、
「小十郎からもお願い申し上げまする。こたびのお話、なかったことにして頂きたい。⋯⋯それでは失礼致しまする」
政宗にむかってふかぶかと平伏し、小十郎は佐助をのこして座を立った。
庭に面した廊下に出、自身に宛てがわれた客人用の部屋がある棟へと歩いていると、その庭にすっと影が差し、それが忍の姿をかたちづくった。
「右目の旦那、ご機嫌ななめ?」
「いいや、そんなことはねえが⋯⋯、そうだな、呆れてはいる」
「ははっ」
参ったよねえ、と鼻の頭を掻きながら、佐助は乾いた笑い声を響かせる。
「どこまで本気なんだか知らないけど、俺様とあんたに夫婦になれだなんてね、正気の沙汰じゃあない」
たとえば男と女であったとしても、草の者と武家の人間とが公に契りの杯を交わすことなど有り得ぬ話で。
「おおかた政宗様の悪ふざけだ。突拍子もないことを言いつけて、俺とてめえの反応を面白がろうって魂胆(ハラ)だったに違いねえ」
「ウチの旦那はそれに本気で騙されてる、ってところかね」
「おそらくな」
幸村はともかく、政宗は、己の腹心と佐助とが理(わり)ない仲であることを知っている。さきほどの悪戯も、それと知っているからこその揶揄いだったのだろう。
――まったく政宗様もおひとが悪い⋯⋯。
とはいえ、明日になれば、あれは冗談だったと、それで仕舞いになるであろうお巫山戯のたぐいだ。
「俺様、仕事途中でほったらかして来ちまったから、もう行くね」
「ああ」
「日が暮れたらお邪魔していい?」
「好きにしろ」
言質を取った、とばかりににんまり笑い、
「じゃあそうさせて貰うよ」
次の瞬間、忍のすがたは小十郎の視界から消えていた。
夜になり、半月の明かりに誘われて縁へと彷徨い出ていた小十郎のもとへ、昼間の宣言通りに佐助がやってきた。
忍が両手に捧げもっているのは長手盆で、その上には盃台一つと小振りな銚子が二つ、盃台の上には大中小三枚の杯が重ねられている。それらすべてが朱塗りだった。
何に使う道具なのかは一目瞭然。
「てめえ、そんなもん⋯⋯」
どっから調達して来やがった、という小十郎の言葉は、最後までは音になることがなかった。
佐助の表情が、これまで小十郎が見たことがないほどに神妙だったからだ。
声を飲み込み動向を見守っていると、盆を廊下の板上に置き、佐助は無言のまま小十郎のとなりに腰を下ろした。
しばらくどちらも口を開かず、月明かりに陰影を増した庭木に目をやり、初秋の風に頬を任せ、虫の音に耳を傾けなどしていたが、やがて、意を決したのか口早に、
「旦那さ、三献の儀の作法ってわかる?」
と、佐助が問うてきた。
――やはりそう来たか。
空気を介して肩から肩へ体温が伝わる距離に座すとなりの男へは目を向けず、小十郎は池の水面にうつる月影が、撫でる風の手にゆらめく姿を見つめたまま、
「細けェところまでは知らねえぞ」
静もった気配を壊すことをはばかるように、そっと言葉を落とした。
「うん」
それでもいいよ、と頷いて、佐助が小杯を手に取った。
佐助が差し出す杯に、小十郎が銚子の中の神酒を注ぐ。
「ひとくち目は飲んでいい。ふたくち目は口をつけるだけ、みくち目で飲み干せ」
「うん」
佐助は両手指で支え持った杯をゆっくりとかたむけ、小十郎の指図通りに三口で飲み干すと、その杯を小十郎へと手渡した。今度は小十郎が佐助からの酌を受け、さきの佐助と同様の手順で杯をあける。更にもう一度、その杯を佐助へと戻し、酌をしてかえす。
そうして一の杯を空にした後、次の中の杯は小十郎から口をつけ、佐助、小十郎の順にあけて、最後、三の杯は、一の杯同様の順序で飲み干した。
佐助の手が、空になった大杯を盆へと返した音がカタリと響き、それが儀式のおわりの合図になった。
「旦那、付き合ってくれてありがと」
「⋯⋯馬鹿が」
酌人すらもいない、ままごとのような、こんな出鱈目な三献の儀など認められよう筈がないのに。
なのに。
「こんな真似したって、なんの意味もねえ、と、そう、おもっ、て⋯⋯!」
そう思って、いたのに。
「く、そ⋯⋯っ!」
喉の奥からこみあげてくるなにものかに圧されて、言葉が奪われる。
小十郎は顔を上げると腕を伸ばし、ぐい、と首裏から佐助の肩を掴み寄せ、その勢いのまま、忍の肩口に額を押しあてて目蓋をつよく閉じた。奥歯をぎりりと噛み締める音が、佐助の耳にまで届く。
「俺様も⋯⋯」
忍の己がこんな気持ちになるなんて、思いもしなかったよ――。
佐助は両腕を小十郎の背に回し、ふるえ、乱れる呼吸(いき)ごとすべてを抱きとめた。
うそごとの儀式で充分だ。どうせ長くは続かぬ安寧だと知っている。
だから、いまだけ。
だけど、いまだけ。
了 2011.12.20
三三九度の作法にもいくつかパターンがあるようでしたが、ここではその名称通りの、3×3×3の作法を採用させて頂きました。