・鬼の霍乱



 開口一番、説教を垂れられると思っていたのに宛てが外れた。



 目の前の男の置かれた状況を一瞥するなり、キッとまなじりを吊り上げた忍は、くるりと背を向けると、一言も言葉を発っしないまま部屋から出て行ってしまった。
「⋯⋯」
 それを布団の中から見送って、片倉小十郎はふかい溜息をひとつ。
 叱り飛ばされることを覚悟していたのに、無言で去られる方が堪(こた)えるとは、いったいどういう訳だろう。
 熱が出ていることに気付いたのは昨夜半過ぎ。関節がひどく痛むのでそれとわかった。原因は、おそらく疲労の蓄積と、久しぶりに与えられた休暇だ。気が緩んで熱を出すなど、まったくどこの餓鬼の所業かと自分にあきれもしたのだが、疲れが溜まっていたのは事実であるし、発熱も既にこの身に起きてしまった現実だ。目を逸らしてもはじまらない。
 こたび主から与えられた休日は、疲労回復と体調を整えるのに充てろという天の声だと解釈し、一日大人しく布団の中で過ごそうと胆を括った矢先、天井から忍が降って来た。
 そのこと自体は別にいい。いつものことだ。
 が、こんな情けない有様はさすがに知られたくなかった。妙に決まりが悪い。
 熱い吐息をこぼして目を閉じる。横になっていれば目が回ることもないが、重い頭を起こして顔の向きを変えようとするだけで正直ひどく疲れた。目の奥が鉛を落としこんだように重く、ぐらぐらする。
 うつらうつらしていると、枕元に何者かの気配。
「右目の旦那、起きてる?」
「⋯⋯」
 何者かも何も、さきほど姿を見せた忍である。
 気付けず動けず、これでは寝首をかかれても文句は言えぬと他人事のように考えた。文句を言うにも生きていなければならないのだが、そこに思いが至らぬくらいには思考が働いていない。
 うっすら目を開けて見れば、この屋敷のどこかに侵入したのだろう、忍は手桶や手ぬぐい、寝間着などを抱えていた。この忍の手に掛かれば、家人に気付かれぬようそれらを調達することなど朝飯前だ。
「いつからこんなんなってんの」
 忍の言葉に咎めるような響きを感じ、ますますバツの悪い思いが増長する。
「⋯⋯よなか」
 昨日の夜中、と答えたかったのだがそれだけのことを口にするのさえ億劫で、正確に伝わろうが伝わらまいがもうどうでもいいという、はなはなだ投げやりな心境になっていた。
「起きられる? ⋯⋯わけないよねえ」
 訊いておいて返事は期待していなかったらしい。勝手に結論まで口にして、ふう、と溜息ひとつ。
「ちょおっと失礼しますよ、っと」
 おもむろに忍の身体が覆いかぶさって来たかと思うと、背に腕が回され、ぐいと上半身が抱き起こされた。途端に猛烈な眩暈に襲われ、う、と呻いて咄嗟に目を閉じる。
「ごめんよ、旦那。辛いだろうけどもうちょっと我慢しておくれよね」
 抱き寄せられた額を左肩に預ける格好で上体が安定する。寝間着の両肩を抜く、慣れた手つきが恨めしい。けれど文句を口にする余裕もなく、ぐったりと身を預けているうちに、濡らして絞った手ぬぐいで汗にべたつく背を拭われた。
 思わず、ほう、と吐息がこぼれる。
「気持ちいい?」
 声が笑みを含んでいるのが鈍った感性でもわかった。ここまで弱ってしまっていては反駁する気も湧いてこない。
 背中の次は胸と腹。
 忍の左腕が右脇の下から背にまわり、腕が背を、手のひらが首裏をしっかと支える揺るぎないその安定感に、すっかり慣れ親しんでしまっている自分に腹が立つ。
 いったいいつの間に、と記憶をさかのぼるのも愚かしいほど、この男と肌を重ねることに抵抗がなくなっている。
 胸と腹の後は両腕。
 こちらも手早く拭われて、それで終わりかと思いきや、帯締めに手が掛かり――、
「!」
 下帯を解こうとする忍の腕を、おのれの体具合も忘れ、渾身の力で振り払っていた。当然そのままぐらりと傾いだ身体は、けれど俊敏な忍の腕が伸びて来、捉えられて、倒れ込む寸前に抱きとめられる。
「あっぶないなあ、もう!」
「てめえが⋯⋯っ」
 てめえがおかしな真似をしようとするから! 今度こそ本気で反駁しようとして、やはりぐにゃりと融けた身体は云うことなど利きはせず。
「いまさら俺様に隠すことなんかないでしょうよ、旦那」
 触って舐めてとっくに好き放題してるっての。さらりと言い捨てられて顔に血が集まった。ただでさえ熱に火照った身体までが更に熱くなる。
「わかったら大人しくしてて」
 有無を言わせぬ力で抑え込まれて観念する。第一こんな体調では勃つものも勃つまい。胸の裡であからさまな言葉をつづり、恥も照れも躊躇いも、何もかもを飲み込んだ。
 結局、股座まで存分に清められて、下帯も寝間着も清潔なものに取り換えられる。
 熱の篭ったかいまきを一旦はがされ、ふたたび敷布に寝かされて、肩を覆うように布団が戻された。
「あとで薬調合してあげるからさ」
 ひと眠りするといいよ、やわらかな声がそう言って、つめたい手のひらに目蓋を下ろされる。眼窩を暗く覆われてしまえば、抗うすべもなく。やさしい闇に落とされた。



 次に目が覚めたとき、忍の姿はまだそこにあるだろうか。






了 2011.07.15

・ついったーリク:
「芳海はIDに「j」か「s」が入っているフォロワーさんのリクエストで文章を書きます。 http://shindanmaker.com/49500」に対して頂いた「鬼のかく乱なこじゅうろうがたまたま居合わせたさっけにいろいろされる夢を見たのでこの夢を具体的に」というリクを形にしてみました。“いろいろ”の部分を教えて貰わなかったので、結果こんな曖昧な感じに仕上がった次第。